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身近な風景


馬にまつわる物語⑦
2026年1月31日(土)、群馬県内各地で開催されている「 馬にまつわる企画展 」を見学しました。「馬が群れる」群馬の県民は馬が好きなのかも、と思いました。 「馬にまつわる物語⑥」を読んでくださった複数の読者から、以下のようなコメントをいただきました。 「上毛かるたの「 しのぶ毛の国 二子塚 」の絵札にも、同じような馬の埴輪のイラストがあったことを思い出しました。この「二子塚」は、群馬県内のどこか一つの古墳を指しているのではなく、前方後円墳に代表される丘が2つあるように見える古墳を示しているようです。」 「群馬県では「上毛かるた」というものがあります。小学校の授業や休み時間に、かるたに取り組み、「上毛かるた」の大会にも出場したりしていました。そこで、馬の埴輪が書いてあった「 しのぶ毛の国 二子塚 」を思い出しました。」 「群馬県民なら、「上毛かるた」は誰でも知っています。「 しのぶ毛の国 二子塚 」がどんな意味なのかは知りませんでしたが、とにかく覚えました。」 さすがは群馬県民ですね。「上毛かるた」の全札暗唱は群馬県民の常識だそうです。その結果、
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2月2日読了時間: 4分


馬にまつわる物語⑥
2026年1月25日(日)、群馬県高崎市にある「 観音山古墳 」とその出土品を展示している「 群馬県立歴史博物館 」を訪ねました。かつての群馬県は「 馬が群れる 」土地(馬の一大産地)であったことがわかりました。 ↓群馬県立歴史博物館 現在、世界遺産「縄文」展が開催されています。 群馬県立歴史博物館 「 綿貫観音山古墳出土の埴輪群 」は、 国宝 に指定されています。日本に2つしかない 国宝埴輪 は、ともに群馬の埴輪です。そのため「 埴輪王国ぐんま 」と呼ばれています。 観音山古墳は、6世紀後半に作られた前方後円墳です。 昭和43年(1968年)に発掘調査を行ったところ、幸いにも未盗掘だった横穴式石室から、たくさんの副葬品などが出土しました。石室前には人物・馬などの形象埴輪が集中的に置かれていました。 これらの副葬品や埴輪は、古墳に葬られた人の生前の社会的地位や富の豊かさを示しています。 古墳時代(3世紀中ごろから7世紀頃まで、諸説あり)、群馬県(上毛野:かみつけの)はヤマト王権(中央)とつながる内陸のルートを馬で行き来する拠点として栄え、同時に馬
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1月26日読了時間: 2分


馬にまつわる物語⑤
2026年1月13日(火)、足利大学本城キャンパスのロビーに、日光東照宮の「 吉祥御絵馬 」が飾ってありました。見事な絵馬です。 「午歳の本年、天馬が飛躍するかの如く輝かしい年でありますように願いを込め、米陀寛画伯(元日展評議員)の原画を用いた吉祥御絵馬を調整いたしました。」(午歳寿詞より) 日光東照宮は、徳川初代将軍徳川康公の死後、元和3年(1617年)に家康公を御祭神におまつりした神社です。 日光東照宮ホームページ|由緒 家康公が関ヶ原の陣に乗馬された 愛馬「立黒」 は、日光東照宮に 初代神馬 として仕えました。神社においては馬は神様の乗物と考えられ、神馬は特別な役割を担うものとされてきました。その後、祈願の際に駿馬を寄進する風習から、絵馬を奉納するようになりました。 本吉祥御絵馬は、天馬が飛躍するかの如く輝かしい年でありますようにとの願いが込められています。 PS:昨日(12日)の日光は、かなりの積雪があったようです。 中禅寺湖畔の「日本両棲類研究所」では、50センチ近く積もったそうです。(大澤さんより)
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1月13日読了時間: 1分


馬にまつわる物語④
2026年1月11日(日)。 那須与一 の活躍を支えた 名馬 「鵜黒の駒」 について知るため、大田原市南金丸にある「 那須与一伝承館 」と隣接する「 那須神社 」を訪ねました。 那須与一伝承館の前には「 鵜黒(うぐろ)の駒にまたがり弓を射る与一の像 」が立っています。 那須与一とその名馬「 鵜黒の駒 」は、「平家物語」の中でも有名な「 扇の的 」で登場します。 元暦2年(1185年)2月、京都や一の谷などで源氏に敗れた平氏は、屋島にたどり着きました。しかしそこでも義経の奇襲に合い、慌てた平氏は舟で海上に逃れ、陸の源氏と対峙します。 「扇の的」はその後の場面です。 沖から立派に飾った一艘の小舟が近づき、美しく着飾った女性が日の丸を描いた紅い扇を竿の先端につけて立っています。 ちなみに、源平合戦では、 源氏が白旗 を掲げ、 平家が赤旗 を掲げることで、敵味方の区別が明確にされました。この色分けは、後の日本の文化や伝統にも影響を与え、運動会での紅白に分かれたチーム対抗競技やNHK『紅白歌合戦』など、紅白の組み合わせはさまざまな場面で見られるようになりま
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1月11日読了時間: 4分


馬にまつわる物語③
2026年1月10日(土)、 那珂川町なす風土記の丘資料館 の特別陳列 えと 展「 午(うま)を考古学する 」を見学しました。 同資料館では、毎年この時期に、えとに因んだ企画展を開催しています。 「馬は、現在、動物園や牧場でふれあうことができ、競馬や乗馬、スポーツやレジャーで活躍する姿を見ることができます。しかし、かつては、軍事的・経済的・政治的に人々や国家を支えてきた動物でした。」 同資料館の展示では、干支と馬の関係、馬と人との歴史や文化などについて紹介されています。本ブログでは、展示資料をもとに、補足した情報を加えた内容を紹介します。なお、展示物の写真撮影およびHP等での公開は認められています。展示資料等に記されていた文言から一部引用した部分は「」で示しました。 1 十二支の動物について 同展の目玉の一つが、町指定文化財の「 東光寺十二神将像 午像 (珊底羅:さんていら)」ではないかと思います。「午像の頭の上には、 馬の頭部 が乗っています。この像は1975年に山林火災が発生した際、有志の人たちによって東光寺の薬師堂から救出されたものの1体で
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1月11日読了時間: 7分


馬にまつわる物語②
2026年1月6日(火)午後、佐野市の名馬伝承の地「閑馬」で、「 するすみの池 」を訪ねました。 馬にまつわる物語①を公開したところ、読者の新井さんから、以下のようなコメントをいただきました。 「閑馬の「するすみ」については、佐野かるたでも、「ゆ 雄々と 名馬が遊ぶ するすみの池」で詠まれていました。小学生のとき、毎年1月開催の佐野かるた取り大会に参加していたのを思い出しました。(小学校対抗です)。小学校5年生の時の自由研究が「佐野かるた舞台探訪」で、するすみの池にも実際に訪れました。その時は、池には水もなく、案内板があっただけのように記憶しています。2019年に再整備が行われたと聞いています。」 ありがとうございました。佐野の子供たちにとって「するすみの池」は、「佐野かるた」の読み札で「名馬が遊ぶ池」として、知られています。 ちなみに、初代「佐野かるた」は、昭和60年に、佐野市誕生40周年を記念して、市内小中学校の児童生徒から、かるたの「ことば」と「え」を募集して作られました。 その後、新「佐野市」の誕生に伴い、旧田沼と旧葛生の子ども会に、「こ
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1月6日読了時間: 4分


馬にまつわる物語①
2026年1月4日(日)、葛生化石館のミニ干支展示「 2026年午(うま)年 」を見てきました。毎年恒例の「 ミニ干支展示 」は、葛生周辺で出土した干支に関わる化石等を展示しています。はたして、馬の化石はあるのでしょうか。学芸員の奥村さんに解説していただきました。 さて、クイズです。 Q:以下の十二支(じゅうにし)の動物の中で、日本で化石として出土しているものはどれでしょうか? 子(ネズミ)・丑(ウシ)・寅(トラ)・卯(ウサギ)・辰(タツ)・巳(ヘビ)・午(ウマ)・未(ヒツジ)・申(サル)・酉(トリ)・戌(イヌ)・亥(イノシシ) A:答えは、 子(ネズミ)・丑(ウシ)・寅(トラ)・卯(ウサギ)・巳(ヘビ)・申(サル)・ 戌(イヌ→オオカミ)・ 亥(イノシシ) です。それぞれの仲間は化石で見ることができます。 一方、 辰(タツ)・午(ウマ)・未(ヒツジ)・酉(ニワトリ) は、化石で見ることができません。辰(タツ)は当然としても、 午(ウマ)・未(ヒツジ)・ 酉(ニワトリ) は、化石ではなく骨として出土しています。 ところで、化石になるには、少なくと
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1月4日読了時間: 2分
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