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​身近な風景

コバケンの群響「チャイコ5番」

執筆者の写真: tokyosalamandertokyosalamander

更新日:7 日前

2025年1月25日(土)14時~16時、高崎芸術劇場で、小林研一郎 指揮 群馬交響楽団による「コバケンのチャイコフスキー交響曲セレクション」が開催されました。終曲の交響曲第5番は大変な熱演で、あちこちでスタンディングオベーションが起こっていました。


今日のプログラムの前半は、「マエストロの解説付きセレクション」で、交響曲第3番の第3楽章、交響曲第6番の第4楽章が、文字通りマエストロの解説付きで演奏されました。


特に、それぞれの楽章に込められたチャイコフスキーの悲しみや絶望といった感情がいかに深いか、それを伝えるためにどんな風に演奏したらよいのか、などを絶妙な語り口で示してくれました。


こうしたスタイルの演奏会は、今回が初めて、ということでした。途中で演奏を止めたりしながら、熱く語ってくれました。

休憩後は、本日のメインプログラムである「交響曲第5番」が演奏されました。チャイコフスキーの悲しみや絶望の表現がストレートに伝わってきました。このために前半の解説があったのかと思いました。


自分の中では、交響曲5番はベートヴェンの第5交響曲の様に「苦悩から歓喜へ」といったわかりやすいモチーフによるエンタメ作品、というイメージがありました。しかし、コバケンの演奏は、悲しみや苦悩、絶望こそが全てで、それをいかにリアルに徹底的に描きつくすことに全力を注いでいました。それが根底にあるからこそ、第2楽章のホルンのソロが、生きる望みの様に力強く、それでいて切なく心に響いてきました。(ちなみに、ホルンのソロはこれ以上は考えられないほど完璧でした。)また、終楽章のクライマックスでは、コバケンは左手を高く会場の方に突きだし、オーケストラに任せた、とばかりに動きを止め、演奏に聞き入っていました。


これまでに聞いたチャイコフスキー第5番の演奏では、終楽章の勇ましさは、なんとなくとってつけたような唐突さを感じることもあり、そこがエンタメ的な要素でもあると感じていました。しかし、コバケンの演奏では、1~3楽章の悲しみや絶望の感情が強すぎて、それらを振り払い、前に生きていくためには、終楽章の決然とした響きがどうしても不可欠であったことが、じわじわと伝わってきました。こんなにも重厚で人の感情を感じさせる演奏は初めての体験でした。さすがは「炎のコバケン」でした。


演奏終了後、目の前に座っていた人たちが、皆一斉に立ち上がり、大きな拍手を送り続けていました。こんな体験も初めてでした。こんな凄い演奏であれば、それも当然だと思います。しかし正直、スタンディングオベーションは、後ろで座っている人の迷惑になるので、止めて欲しいと思いました。

最後にアンコールが演奏されました。コバケンから「ダニー・ボーイ」と告げられると、一瞬、「なんで?」という気持ちになりました。てっきり、チャイコフスキーにちなんだ曲が演奏されると思ってました。アイルランド民謡の「ダニー・ボーイ」は、しっとりした弦楽器がメインの曲で、高揚した観客の心をクールダウンさせ、「お家に帰ろう」という気持ちにさせてくれました。


コバケンならではの心憎い選曲でした。最初から最後まで、コバケンワールドに引き込まれました。

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