2024年7月14日(日)、栃木市内の自生地で「ヤマユリ」の開花を確認しました。
ヤマユリ(学名:Lilium auratum、黄金のユリ)は、山地に生える日本固有種で、中部地方以北に分布しています。花被片(花びら)の内側中心に黄色の太い筋があることから、学名の「黄金のユリ」が由来しています。
花期は夏(7~8月)で、ユリ科の中でも最大級の大きさの花を咲かせます。その重みで茎全体が弓なりに傾くほどです。また、離れていても、強い芳香が漂ってきます。まさに「ユリの女王」にふさわしい花を咲かせます。
ヤマユリが自生する場所は、だいたい決まっています。山地の林縁や傾斜地で、必ずといってもよいほど、水はけのよい東斜面か北斜面に見られます。さらに下草が生え、下部が日陰に保たれる場所です。下の写真のような場所が、ヤマユリが好む生育環境なのです。
蕾や開きかけた花もありました。
世界最大級の花を付けるゴージャスな花は、19世紀にシーボルトによって欧州に紹介され、1873年に開催されたウィーン万博では、日本のユリとして注目を浴びたそうです。それ以来、ユリの球根が大正時代まで主要な輸出品の一つとなっていました。
ところで、日本固有種であるヤマユリは、古くからどのように受け止められていたのでしょうか。万葉集(奈良時代末期に成立)では、ユリを詠んだ歌が12首あるそうです。しかし、ヤマユリは中部地方以北の分布なので、関西で詠まれた歌はササユリ、関東ではヤマユリを指していると考えられています。
そんな中、確実にヤマユリを詠んでいる歌を1首紹介します。
「筑波嶺(つくはね)の さ百合の花の夜床(ゆとこ)にも 愛(かな)しけ妹(いも)ぞ昼も愛(かな)しけ」 大舎人部千文 (万葉集 巻十八・四三六九)
(筑波の山の百合のように、夜も昼もいとおしい妻です。)
このように、万葉集では、ユリの美しさを素直に表現していますが、平安時代から江戸時代にかけては、ほとんど歌題としては取り上げられなくなっていました。今でこそ、ユリのゴージャスな美しさは称賛されていますが、平安時代から江戸時代の歌人は、ユリの美しさは、あまりにも華やかで、気恥ずかしさを感じていたのかもしれません。
平安時代に書かれた「源氏物語」や「枕草子」に、ユリの花が登場しないのも、そうした事情が反映されている可能性があります。
しかし、近・現代になると、再びユリの花が歌題として歌われるようになってきました。
時代によって、歌人の美しさの基準が違っていたことはあるのかもしれません。しかし、普通に生活していた人々からは、ヤマユリの花は、変わらず愛されていたようです。たとえば、こんなフレーズを聞いたことがありますか?
「立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿は百合の花」
江戸時代末期に、美人の姿を美しい花々で形容した都々逸(どどいつ:口語による定型詩。七・七・七・五の音数律に従う)だそうです。ユリの花ほど美しいものを放っておくなんて、普通はありえないと思います。
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