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​身近な風景

執筆者の写真tokyosalamander

戸隠地質化石博物館

更新日:2023年11月19日

11月11日(土)長野市戸隠にある「戸隠地質化石博物館」を見学しました。2006年に閉校した柵(しがらみ)小学校の鉄筋コンクリート3館建ての校舎を改築し、2008年にオープンしました。「校舎全部が博物館」というコンセプトの魅力満載の博物館です。

研究員の中村千賀さん(主に植物担当)に館内を案内していただきました。また、古賀和人さん(主に動物担当)にもお話を伺うことができました。(なお、お二人は、本HPで紹介することを快諾してくださいました。)

せっかくの機会でしたので、「カメコース」を1時間半ほどで案内していただきました。



<1F:ヒトの集う場>

エントランスホールでは、クジラの全身骨格標本が展示されています。

今の戸隠は山の中ですが、「ヒゲクジラ」の仲間の化石(シンシュウセミクジラ)が約400万年前の地層から発見されています。また、同時代の地層からは大量の貝の化石が出土しています。戸隠は昔は海だったことが一目瞭然です。


1Fの廊下には、動物の毛皮などが展示してあります。

この大きな毛皮は、オオカミです。(ニホンオオカミではありません)

動物園で飼われていた動物の足の毛皮は、自分の手にはめてみることができます。

トラとライオンの足です。頭に付いているのは、シカの耳です。

ちなみに、平成30年9月3日に放送されたNHK「鶴瓶の家族に乾杯」で、鶴瓶さんがこの博物館を訪れました。そして、このシカの耳が気に入り、ずっとつけてくれていたそうです。

キリンの頭の毛皮もさりげなく置かれています。頭から被ることもできるそうです。

動物園で亡くなった動物たちも、ここでは博物館の一員として、陽の目を浴びています。


さらに、1Fの「学校資料室」には、学校で使われていた教材などが展示されています。

これは「小学理科掛図 第三学年用 発行所 日本教図株式会社」です。

模造紙半分くらいの掛図です。捲ってみると、精緻な図と色鮮やかな色彩が新鮮でした。

発行年は確認してませんでしたが、発行所の「日本教図株式会社」を検察してみると、この名前で出版していたのは1942年から1945年の4年間だったことから、太平洋戦争中に発行されたものであることが推測されます。それにしても、約80年前のものとは思えない保存状態の良さに驚きました。こうした掛図が3種類展示されていました。手に取って見ることができるのも、この博物館の魅力です。


1F:人が集う場所については、戸隠地質化石博物館のHPで詳しく知ることができます。


校舎の突き当りにある「学校資料室」から階段を登って、2階に向かいました。



<2F:ミドルヤード>

ところで、「ミドルヤード」とは何なのでしょうか?

実は、この博物館は「ミドルヤード」という新しい 発想に基づいて設計されました.

これまでの博物館は 展示室(フロントヤード)と収蔵庫や研究部門(バックヤード)がきっちりと区分されていました.。そのため、来館者が資料と親しみ、その魅力を発見してもらう場所(ミドルヤード)を創ろうと考えたそうです。そのための場所として、キュラトリアルワークルーム(博物館体験室)や化石クリーニング室などがあります。


今回の見学では、時間が限られていましたので、そこまでの体験は叶いませんでしたが、とても魅力的でした。


まず、2Fの一番端にある「収納スペース3」(旧図書室)を見せていただきました。


ここでは、図書室の書架を活用したスペースに、現生の脊椎動物の骨格および剥製などを中心に収蔵しています.。動物園、ペット、ロードキル(車に轢かれて死亡)で亡くなった動物たちが、標本作成ボランティア【戸隠解剖団】の手を借りてここにおさめられているそうです。ミドルヤードの具現化の一つとして展示公開している珍しい収蔵スペースだそうです。


様々な頭骨が並ぶ中で、ひときわ大きく存在感があったのは、手前に見える「ゾウ」の頭骨です。

いろいろな骨格標本が、とても良く整理されて展示されています。

こちらは、キリンの骨格標本です。動物園で亡くなった個体の標本だそうです。

人と比べてみると、大きさがよくわかります。さすがに、キリンの長い首を伸ばした状態では展示できませんが、本物を手で触ったり、いろいろな角度から見ることができる場所は、他に聞いたことがありません。骨好きの人にはたまらない場所であることは、間違いありません。手作り感満載です。

「収蔵スペース3」の入り口には、ダチョウの骨格標本がお出迎えしていました。

このスペースの住人たちは、この世での生を全うし、今は「骨休めしています


以下の写真は、本館のHPに掲載されていた写真です。ゾウの骨も、こんなふうに子供たちに囲まれ愛されたら、幸せなのではないでしょうか。第二の「象生」を送っています。


「生物標本室」には、珍しい標本も展示されていました。この液浸標本は、頭が2つあるヘビです。

ワークルーム2(旧保健室)には、生きた生物もたくさん飼育されています。この水槽には、ヒキガエルが飼われています。近所の方が捕まえたものを持ってきてくれたそうです。

他にも「アホロートル」なども多数飼育されていました。こんなところは、学校の理科室を髣髴とさせてくれます。


山で採れる「どんぐり」など、身近なものもさりげなく展示されています。


そして、いよいよ3Fへと向かいます。当然のことながら、全部をじっくり見るには時間がとても足りません。



<3F:常設展示フロア>

ここは、通常の博物館ならメインの展示室(フロントヤード)に当たります。

さすがに、最もお金をかけて整備した展示室です。


第1展示室は、「大型動物たちのいた長野」をイメージさせてくれます。

約300万年前には、海に面する広い平野が広がっていました。当然、そのころはヒトはまだいません。平原には体高4mにもなるシンシュウゾウ(現在は、ミエゾウ)が暮らしており、海にはヒゲクジラの仲間や体長9mにもなるダイカイギュウ(大海牛)が泳いでいました。

ゾウの化石では、同じ長野県では野尻湖のナウマンゾウがよく知られていますが、それは約4万年前のことです。人類もそこで暮らしていました。

しかし、シンシュウゾウ(現在は、ミエゾウ)は、400万年前ですから、さらに大昔であることがわかります。なお、当初は新種シンシュウゾウとされていましたが、後に、三重県で発見されていたミエゾウと同種であることがわかりました。そのため、最初に名前が付けられたミエゾウが正式な種名となっています。


第2展示室は、「海だった長野」をイメージさせてくれます。

今では山の中の戸隠は、約400万年前には生命豊かな海だったことを化石たちから体感することができます。戸隠周辺から採集される.ホタテガイをはじめとする多くの貝類やサメなどの化石が沢山見つかっています。


第3展示室は、「長野の大地の生い立ち」をイメージさせてくれます。

戸隠周辺からは どうしてこんなにたくさんの化石が見つかるのか?

戸隠の海は どうやって高い山へと変わっていったのか?

ここでは、長野周辺の大地の生い立ちをわかりやすく紹介してくれています。


第4展示室は、「生命を育んできた地球の歴史」をイメージさせてくれます。

新生代から古生代まで世界各地の化石を時代ごとに展示しています。

学校の机を利用した展示の仕方が印象的でした。


第5展示室は、「そして 長野の自然を見る」をイメージさせてくれます。

長い時間の中で生き物たちは変化する環境にあわせて生きてきました。ヒトが登場してからは、ヒトが作った里山環境などに適応した生き物もいます。しかし、今里山環境は、大きく変わり、人と生き物たちの関わりも大きく変化しました.。

ここでは 戸隠周辺の豊かな自然と人との関わりから、未来を考える展示室です。


この標本は、戸隠に生息しているヘビの皮の標本です。色が残っており、それぞれのヘビの特徴を知ることができるものです。こういう標本は初めて見ました。

この標本を作製した学芸員の古賀さんに一目会いたいと思い、ここまで案内していただいた中村さんにお願いしました。


こうして、旧柵(しがらみ)小学校の校舎を活用した博物館を1時間半近くで、駆け足に案内していただきました。学校ならではの教具や標本などの資料に加え、水生動物の飼育など、生き物について知ることの楽しさを随所に感じました。「わくわく、どきどき!」を体験できる博物館です。

ぜひ、「戸隠地質化石博物館」に足を運んでみてください。


中村さん、古賀さん、どうもありがとうございました。


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