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群響「マーラー交響曲第9番」

  • 執筆者の写真: tokyosalamander
    tokyosalamander
  • 3月16日
  • 読了時間: 3分

更新日:5 日前

2025年3月15日(土)、群馬交響楽団「第606回定期演奏会」は、究極の愛と死 ワーグナーとマーラー、というコンセプトで、常任指揮者・飯森範親の指揮による、ワーグナー:楽劇《トリスタンとイゾルデ》から「前奏曲」「愛の死」(ソプラノ:小林沙羅)、マーラー:交響曲第9番が演奏されました。今シーズンの掉尾を飾る感動的な演奏でした。


定期演奏会では、開演40分前に始まる「プレ・コンサート・トーク」を楽しみにしています。今回は、指揮者の飯森範親さんが、今日のプログラムについて約20分間、熱く語ってくれました。「究極の愛と死 ワーグナーとマーラー」はテーマ性が高く、非日常、ユートピア、悲劇を悲劇として捉えることができるか、といった観点から対照的なカップリングであるというお話が印象的でした。


ワーグナーの楽劇《トリスタンとイゾルデ》から「前奏曲」「愛の死」では、愛と死が一体化することで、二人の魂の浄化と永遠の愛の成就をみるという非日常、ユートピアの世界が現出されています。


一方、マーラーにとっては、愛という感情は成就されることはない、ということが生の真実(日常)であり、愛や死について、悲劇は悲劇として描き続けてきました。そのマーラーが、交響曲第9番では、死への憧憬や生の闘争を経て、最後の最後で、それでも生き続けたいという切ない願いを抱きながら、死と同化していきます。ワーグナーの「愛と死」とは対照的です。


この曲は1910年4月に完成しましたが、マーラーは初演を聴くことなく、翌1911年5月18日にウィーンで亡くなりました。初演は1912年6月26日、ブルーノ・ワルターがウイーン・フィルを指揮して行いました。


マーラーの交響曲第9番は、演奏時間約80分の大曲です。指揮者、群響ともに、力を出し切ったという感じがしました。最後の一音が消えてから、指揮者が手を下すまでに長い長い時間が流れました。この曲と演奏には、それだけの時間が必要だと、誰もが納得していました。手を下ろし振り返った指揮者に、あちこちからブラヴォーの声が飛び交いました。

私にとって、飯森さんの指揮による群響の演奏は、究極の癒しであると同時に、生きる希望を感じました。第1楽章から第3楽章までは、指揮者の力強い動きやソロの演奏などから目が離せず、緊張して聴いていましたが、終楽章の冒頭で、第1バイオリンのゆっくりとした力強い旋律を聴いた瞬間、一気に肩の力が抜けていくのを感じました。第1楽章から第3楽章までの死への憧憬や生の闘争を、最後の楽章がすべて受け止め、さらに生きようとしていることを感じました。

飯森さんは、3度目のカーテンコールで指揮台にあったマーラーの楽譜を胸に押さえ、皆さんの拍手はすべてマーラーへのものです、と言うかのように敬意を払い、深々と一礼しました。

今回の演奏は、ワーグナーとマーラーの死生観、「愛と死」を対比させることで、最後には現代人とつながっているマーラーが抱いていた深い悲しみを共感することができました。それは、14年前の同じ3月に起こった震災へのレクイエムのようにも感じました。


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