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​身近な風景

執筆者の写真tokyosalamander

群響定期「600回記念」

更新日:7月30日

2024年7月27日(土)高崎芸術劇場で、群馬交響楽団「第600回定期演奏会」を聴きました。常任指揮者飯森範親(いいもり のりちか)による壮大で華やかなオーケストラ・サウンドを堪能しました。


第600回定期演奏会を記念して、高崎芸術劇場のロビーには、群響の節目の演奏会の写真が展示されていました。

(左上)設立当時の高崎市民オーケストラ

→前身は詩人の萩原朔太郎が前橋に「上毛マンドリンクラブ」を大正11年に創設したことに遡ります。戦後、町の音楽愛好家グループや疎開していた音楽家たちが集まり、「高崎市民オーケストラ」の誕生となったそうです。

第1回定期演奏会は1946(昭和21)年3月10日に開催されました。モーツアルト「アイネクライネナハトムジーク」やシュトラウス2世「美しく青きドナウ」などが演奏されたそうです。


(右上)第300回定期演奏会(平成4年3月21日)

→常任指揮者の手塚幸紀指揮、モーツァルトの歌劇「コシ・ファン・トゥッテ」演奏会形式でした。定期演奏会で初めて歌劇が取り上げられました。


(左下)第400回定期演奏会(平成15年5月25日)

→音楽監督の高関健指揮、ヴェルディの歌劇「ファルスタッフ」演奏会形式でした。


(右下)第500回定期演奏会(平成26年6月21日)

→音楽監督の大友直人指揮、ベートヴェン「ピアノ協奏曲第5番」、Rシュトラウス「アルプス交響曲」でした。


(以上、上記写真の解説文や当日のパンフレット中の「定期演奏会これまで」を参照しました)



さて、第600回定期演奏会では以下の曲目が演奏されました。

指揮/飯森範親

モーツァルト 6つのドイツ舞曲 K.600

コルンゴルト ヴァイオリン協奏曲

 →ヴァイオリン/マルク・ブシュコフ

R.シュトラウス 家庭交響曲


「飯森常任就任2シーズン目に迎える記念すべき公演は、600回にちなんだモーツァルトK.600でスタート。音楽に鋭く切り込む若手注目のヴァイオリン奏者ブシュコフのコルンゴルトに期待。飯森常任の2023/26シーズン・テーマであるR.シュトラウス作品から「家庭交響曲」を選び、自身とオーケストラとの関係をこの作品に重ねます。」(群響のHPより引用)


今回の演奏会で最も楽しみにしていたのは、コルンゴルトの「ヴァイオリン協奏曲」でした。初演は1947年(ヤッシャ・ハイフェッツの独奏、ウラディミール・ゴルシュマン指揮セントルイス交響楽団)でしたが、それまでのハリウッド映画の音楽から主要主題を採っているそうです。実際に聴いていると、ジョン・ウィリアムズの映画音楽は、コルンゴルトの亜流である、という言説に妙に納得してしまいました。


コルンゴルトの「ヴァイオリン協奏曲」からは、ジョン・ウィリアムズの映画音楽「ET」や「未知との遭遇」「インディ・ジョーンズ」、「スターウォーズ」などの雰囲気を確かに肌で感じることができました。普段から大好きな曲でもあります。


今回の若手ヴァイオリニスト「マルク・ブシュコフ」は、がっしりとした体格を生かした力強く、迷いのない音色が見事でした。自信に満ちた超絶技巧と力技で完璧にねじ伏せられました。こういう曲には、このような演奏があっているのではないかと思いました。この曲が有名になったのは、初演した名ヴァイオリニストであるハイフェッツが演奏と録音を続けたことによるそうですが、ハイフェッツもかくやと思わせる演奏でした。


1楽章の演奏が終わった直後、自分の席の斜め後ろの席の年配の女性が、思わず「すごいねえ!」という声を漏らしていました。おそらく心の中の言葉がそのまま漏れてしまったのでしょう。多少迷惑ではありましたが、同感する方は多かったと思います。


聴衆やオーケストラの楽員も大興奮で、アンコールが2曲も演奏されました。

さて、最後のRシュトラウス「家庭交響曲」ですが、群響の能力全開の凄い演奏でした。群響のレベルがここまできていることを誰もが感じたと思いました。


この曲は、Rシュトラウスが、自身を英雄として描いた「英雄の生涯」に続いて、愛する妻と子供たちに捧いだ自伝的な曲です。子どもの教育をめぐって激しく口論をし、子どもも泣き出しますが、やがて夫婦は仲直りし、家庭は幸せな雰囲気に包まれ、幸福感のうちに結ばれる、という表題的な創作です。まさに、普通の家庭でもみられる風景を表現した途切れの無い交響詩「家庭交響曲」(45分程度かかります)です。先ほどの年配の女性が、終わりそうで終わらない曲の途中で、「長いねえ」という心の中の言葉がまたもや漏れ聞こえてきました。


この曲を聴いたのは、今回が初めてでしたが、正直、なぜ、こんな個人的な内容を大げさな大管弦楽曲にしたてて演奏するのか、という素朴な疑問もありました。現在、このような曲を作曲したら、コンプライアンス上で問題ありそうです。「不適切にも程がある」と言われてもおかしくないかもしれません。


それでもこの曲がこのような記念すべき演奏会にも演奏される程の名曲とされるのは、誰にとっても身近なテーマを豊饒な管弦楽で彩り、巨大な芸術に昇華されていることに尽きると思います。そして、指揮者の飯森範親が「自身とオーケストラとの関係をこの作品に重ねます。」(群響のHPより)という思いを皆が共有できたことが、今日の演奏会をより感慨深いものに変えていました。

カーテンコールでは、名演奏を繰り広げた奏者たち全てを称えて回りました。

最後は、コンサートマスターと固い握手を交わしました。

第600回にふさわしい素晴らしい演奏会でした。


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