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​身近な風景

執筆者の写真tokyosalamander

龍にまつわる神社③

更新日:3月29日

2024年1月8日(成人の日)、群馬県富岡市にある「蛇宮神社(じゃぐうじんじゃ)」を訪問しました。そこには、かつて地元から発掘された「龍の骨ヤベオオツノシカの化石)」が祭られていました。現在は、同市内にある「群馬県自然史博物館」でレプリカや「鑑定書」が展示されています。また、博物館の近くで「石宮」(化石骨出土記念碑)を見ることができました。


寛政九年(1797年)7月7日、上黒岩で、豪雨で崖崩れがあった場所から、地元の人々によって、ある「化石骨」が発掘されました。その「化石骨」は、日本で数万年前まで生息していた「ヤベオオツノシカ」の角の化石であることが後に判明しましたが、当時の土地の人々は「龍の骨」と信じていました。そのため、七日市藩主の前田家に献上されました。


翌年の寛政十年(1798年)11月、出土地近くに「龍の骨」の発見を記念して「石宮」が建てられました。

博物館から2キロくらい離れたところで、民家の奥の斜面にありました。

この石宮は、建てられてから226年が経っていました。

石宮には、龍神に風雨和順、五穀豊穣を祈る言葉が刻まれています。現在も、ハイキングコース内にあり、人々から大切にされています。


さて、前田家に献上された「化石骨」は前田藩の江戸屋敷に運ばれました。当時の医者がこの骨を鑑定し「大きな鹿のようだ」と記しています。その「鑑定書」は、今も残されており、現在は「群馬県自然史博物館」で、そのレプリカが展示されています。手書きの精密な「鑑定書」で、こうした資料が残っている化石はとても珍しいそうです。


その後、(オオツノジカと判明した)化石骨は、昭和八年に地元の「蛇宮神社」に寄進されました。

この「蛇宮神社」には、もともと「龍の爪かき石」がご神体として祭られていたことから、龍つながりで「龍の骨」が寄進されたのではないかと思います。

二つの石に開いた穴が、龍が爪で蹴った跡とも言い伝わっています。

「龍の骨」(オオツノシカ)が寄進された蛇宮神社では、収納庫を建設するなど、大切に扱われていたことが伺えます。


現在は、「富岡市立美術博物館」に寄託されており、その精巧なレプリカが、隣接している「群馬県自然史博物館」で展示されています。

現在は、ヤベオオツノシカという学名が付いています。上の写真は、その全身骨格の復元模型です。角の化石以外は、他の場所で出土されたものを組み合わせて復元されたそうです。

この左右の角が、出土した化石骨です。完璧な姿で残っていることが、すぐにわかりました。角そのままのような感じに見えますが、化石化しています。

左右別々に並べたものも、隣に展示されていました。レプリカは型を取って精巧に作られています。


ところで、この博物館では、レプリカと言わずに「キャスト」と表記しています。博物館のガイドに聞いてみましたが、「レプリカ」という言葉には、偽物というニュアンスが含まれているので、本物そっくりの模型として「キャスト」としているそうです。「キャスト」は専門の業者によって作成され、複数存在しています。佐野市にある葛生化石館にも、全く同じ「キャスト」が展示されています。

ヤベオオツノシカの生態を再現したジオラマも展示されていました。

日本地質学会は、2018年(平成30年)の創立125周年の記念事業の一環として、2016年(平成28年)5月10日、全国47都道府県に特徴的に産出あるいは発見された岩石・鉱物・化石を「県の石」として選定しました。群馬県の「県の石」として、この「ヤベオオツノシカ」が選ばれています。日本地質学会 - 関東(県の石) (geosociety.jp)


今回は、この「龍の骨」にまつわる場所をすべて訪問し、この目で確かめることができました。ここでも、「龍」に対する多くの人たちの思いを感じることができました。


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