2024年12月25日(水)神奈川県藤沢市に位置する「江の島」を訪れました。江の島は弁財天と五頭龍の伝説があり、江戸時代から参拝や遊山目的の人々が集まってきた観光島です。江戸時代は、江戸から一日で行ける大人気の観光スポットでした。
今回は、皆様にも「江の島周遊」の旅をご案内します。
「江の島」へは、小田急の「片瀬江の島」駅から歩いて10分ほどで、島内にたどり着くことができます。L_eno_map.jpg (1593×1053)
江の島へと続く「江の島弁天橋」のたもとには、「江島神社御鎮座記念龍灯籠」が建っています。江の島の洞窟に宮を建てた江の島湧出(552年)から1450年を記念に、2001年に建てられました。灯籠には龍が巻き付いています。ここが、江の島周遊の出発点となります。
「江の島弁天橋」は、絶好の「富士見スポット」です。相模湾に浮かび立つ富士山が想像以上に大きく見えました。手前の船は、江の島と片瀬漁港を結ぶ遊覧船べんてん丸です。帰りは、このべんてん丸に乗って帰ってきました。
島内に入ると、「青銅の鳥居」が出迎えてくれました。掛けられた額には「江島大明神」と記され、鳥居をくぐると、土産物屋が並ぶ参道に続きます。参道の道幅は昔も今も変わっていないそうです。江戸時代の庶民も、この鳥居をワクワクしながらくぐっていったのではないかと思います。
しばらくすると、階段の上に大きな門が見えてきました。「瑞心門(ずいしんもん)」といい、人々が瑞々しい心でお参りができるように、という願いが込められているそうです。
瑞心門は、「竜宮造り」とされています。つまり、竜宮城を模した造りです。「江島縁起」(1047年)には、天女と五頭龍(ごずりゅう)の伝説が記されています。
当時、江の島界隈を荒らしていた五頭龍を改心させるべく、天から天女が舞い降りたそうです。天女のあまりの美しさに魅せられた五頭龍は結婚を申し込むのですが、悪行が止むまではと断られてしまいました。その後、龍は心を改め、結婚することができたと言われています。この伝説の天女が江の島で祀られている弁財天といわれています。その弁財天にちなみ、天女のいる竜宮城を模した門を造ったと言われています。
これから、竜宮城に入るかと思うと、江戸の庶民の期待も爆上がりしたのかもしれません。
瑞心門を越えると、「弁財天童子石蔵」が目の前に現れます。弁財天と童子たち、そして龍がお出迎えしてくれました。龍神様への期待も高まりました。
順路に従って進んでいくと、立派な手水場がありました。
ここにも、さりげなく龍の口から水が出ていました。
江の島にある神社は、江島神社(えのしまじんじゃ)と表記されています。江戸時代までは弁財天が祀られていましたが、明治時代の神仏分離の際に、宗像三女神(むなかたさんじょしん)に改められました。宗像三女神は、宗像大社(福岡県宗像市)を総本宮として、日本全国各地に祀られている三柱の女神の総称だそうです。
参拝する順序に従って、まず、田寸津比賣命を祀る「辺津宮(へつみや)」を参拝しました。
ここにも、龍が鎮座しています。
次の宮へと続く通路が整備されています。
坂道はエスカー(エスカレーター)で登ることができます。
そして、2番目の「中津宮(なかつみや)」が見えてきました。市寸島比賣命が祀られています。
社殿は1996年に改修されており、鮮やかな朱色が再現されています。龍の彫り物も睨みをきかせていますね。
さらに登っていきますが、ここでもエスカーで登ることができます。
登り切った先は、ほぼ頂上付近で、眺望が最高です。駿河湾をはさんで富士山も良く見えています。
そこからは、階段を下りながら、歩みを進めます。参道沿いには、いろいろな店が並んでいます。「しらす」ののぼりが目につきます。
また、いたるところで、トビ注意の看板が立っていました。
これも名所のひとつ「山ふたつ」です。
もともと一続きだったのが、海岸浸食によって岩肌が崩落したことにより、くびれの部分ができ、山がふたつ並んだように見えています。
そして、ようやく第3の宮である「奥津宮(おくつみや)」に近づいてきました。
源頼朝が寄進したとされる鳥居です。
拝殿の天井には、ちょっとした仕掛けが施されています。ここから真上をみると、亀の姿が描かれています。
これは「八方睨みの亀」と呼ばれており、江戸時代の酒井抱一画で特に有名です。どこから見ても、亀がこっちを睨んでいるように見えます。一種のトリックアートのようなものかもしれません。江戸時代、「江の島詣」に訪れた庶民たちは、おそらく大喜びし、格好の土産話になったことと思います。
当時は亀も大切にされていたようで、亀の形をした手水場が、奥津宮の手前にありました。
かなりリアルな造形です。
亀に似ている亀石(亀甲石)もありました。
確かに、言われて見れば、亀の甲羅ですね。この大きさだと、海亀でしょうか。
奥津宮の隣には、「龍宮(わだつみのみや)」がありました。これは1993年に建てられたお宮です。御祭神は「龍宮大神」ですので、いわゆる龍神様です。インパクトのある龍の像が飾られているので、パワースポットとして人気です。
これで、江島神社の3宮を参拝できたので、お昼にすることにしました。「片瀬江の島」駅を出発してから、ちょうど1時間が経ちました。奥津宮の周辺は、江の島のほぼてっぺんですので、テラスから眺望が楽しめるお店が人気です。
そこで、一番人気の「シラス丼」を注文しました。
生シラスと釜揚げシラスのハーフ丼が1200円でした。納得の値段ですね。カニの味噌汁はプラス500円。
釜揚げシラスはふわっとして柔らかく、生シラスのとろけるような食感と濃厚なうまみのバランスが絶品でした。生姜醤油が最高にマッチしていました。
お店に入ったのは12時半頃でしたが、出ていくときには、テラス席待ちのお客さんが10人くらい並んでいました。相模湾と富士山の眺めは最高でした。
この後、登ってきた参道を一気に海面近くまで、階段で降りていきます。「稚児が渕」が見えてきました。ここから見える夕景は「かながわの景勝50選」にも指定されています。
さらに、江の島岩屋へと道が続いています。
岩屋は波の浸食でできた洞窟です。江の島の信仰が始まった出発点でもあります。
岩屋に入ると、無料のろうそくが渡され、それで辺りを照らしながら進んでいきます。これも、江戸時代の庶民は大喜びしたでしょうね。
途中、道が枝分かれしています。
一方の岩屋の突き当りが、江島神社の発祥の場所でした。
第一岩屋を出て、第二岩屋を目指します。
江戸時代は、木で組んだ危なっかしい通路だったようです。スリル満点のアミューズメントパークだったのでしょう。
第二岩屋は、きれいにイルミネーションが施されていました。
第二岩屋の突き当りでは、なんと、龍神様が待ち構えていました。手をポンと叩くと、龍神様が反応して、鳴き声(雷鳴?)が聞こえてきます。
「江の島周遊」の旅も終わりに近づいてきました。帰りは「べんてん丸」での船旅です。
一人400円です。ここも、「富士見スポット」になっています。
べんてん丸が、江の島と片瀬江の島港とを往復しています。片道約6分間ですので、15分もすると戻ってきます。待ち時間は5分くらいでした。釣り客も利用しているようです。
開放的な船旅です。
振り返ると、出港した「稚児が渕」の上空は、太陽の光を反射し、少し赤く色づいていました。今日も夕景はきれいなんだろうなと思いながら、江の島を後にしました。
定番の御朱印です。
皆様、これで龍神をめぐる「江の島周遊」の旅は終わりです。江戸時代からの大人気観光スポットは、人々のニーズに合うようリニューアルされ、今も引き継がれていました。江の島は健在です。侮ることなかれ。
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