蛇にまつわる人々⑨
- tokyosalamander
- 1 日前
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更新日:1 日前
2025年5月9・10日、群馬県沼田市にある老神温泉で、「大蛇まつり」が開催されました。今年は巳年ですので、12年ぶりに大蛇みこし(ギネス認定108.22m)による特別渡御(とぎょ)が行われました。

9日(金)
15:00 赤城神社の宮司さんにより、108.22m大蛇みこし出発式が執り行われました。大蛇みこしは総重量2トン、担ぎ手約300人によって担がれています。大勢の観光客や報道の人たちがスマホやカメラを手に、大蛇みこしの動き出す瞬間を今か今かと待ち構えています。

15:30 一本締めで気合を入れ、108.22m大蛇みこしがゆっくりと移動を開始しました。
108.22mの大蛇みこしが目の前を通り過ぎるのに、1分以上かかりました。
<大蛇まつりの起源>
大蛇まつりが始まったきっかけは、1947年(昭和22)年にまで遡ります。この年、カスリーン台風が日本に接近し、関東地方や東北地方に甚大な被害をもたらしました。群馬県にある老神温泉も例外ではなく、大きな被害を受けました。その復興の過程で、人々は老神温泉を元気づけるため、神輿(みこし)を作ろうと考えました。しかし、神輿で練り歩くには狭い路地だったため、苦肉の策として、大蛇の神輿だったら、狭い路地でも通れるだろうと考えたのが出発点だったそうです。(このお話は、昨日(9日)、大蛇まつりの初日の様子を伝えるNHK前橋放送局制作の番組の中で、大蛇まつり実行委員長が話されていました。)
<なぜ、大蛇なの?>
赤城山の神と二荒山の神が争ったという「赤城と日光二荒山神戦」伝説が残されています。「とちぎの伝説」や「まんが日本昔話」では、赤城山の神が大ムカデ、日光二荒山の神が大蛇とされていますが、老神温泉に伝わる伝説のように赤城山の神様が大蛇の場合もあります。戦った場所はいずれの場合も日光・戦場ヶ原ですが、戦いの結末も二荒山の神が勝ち、赤城山の神が流した血で山が赤くなったとする伝説や、その逆もあります。赤い血で染まった赤き山が赤城山になったのが地名の由来というのは共通しています。
また、傷を負った赤城山の神が弓の先で岩を突いたところ、温泉が湧きだし、そのお湯で傷が癒えたとされています。老神には、老いた神が発見した万病に効くお湯という意味が込められています。
大蛇と大ムカデの戦いでは、大蛇がヒーロー、大ムカデは悪役というイメージがありますので、いつの間にか、自分たちに都合がいい伝説になっていったのかもしれません。とはいえ伝説ですから、史実に基づいたものではありません。これ以上は深く考えないようにしましょう。

赤城神社は山の斜面に建っています。

赤城神社でスタンバイしている2体の大蛇みこしは、「子供白蛇みこし」と「若衆みこし」で、そんなに長くはありません。

<108.22mの大蛇誕生の謎>
大蛇みこしは、当初は全長30mほどの長さでした。これでも十分長いですが、2001年の巳年に、全長108m、総重量2トンの大蛇みこしを手作りで2年かけて作成しました。おそらく、21世紀になったのを機に、大蛇まつりのステージアップを図ったのではないかと思います。どうせなら108m、担ぎ手が「百八の煩悩」を振り払えるよう無心で担いでほしいという願いが込められたそうです。ただし、通常の年はこれまで通り30mの大蛇みこしで、12年ごとの巳年にだけ、108mの大蛇みこしが登場することになりました。
12年後の巳年2013年、さらなるステージアップが行われました。ギネス世界記録公式認定員の立会いの下、「最も長い祭用の蛇(Longest festival snake)」として認定されました。大蛇みこしは世界から認定され、注目度も大幅にアップされました。その時に計測された長さが108.22mでした。
ところで、百八の煩悩に因んだ108mとするためには、少なくとも108m以上で109mを越えない長さにしなければなりません。厳密には、ある程度の素材の伸縮が見込まれますが、四捨五入しても108mと言える幅に見事に収まっています。これには相当な苦労があったのではないかと想像しています。これは凄いことだと思いました。

<24年後のクラウドファンディング>
2001年に108mの大蛇みこしが制作されてから、今年で24年が経ちました。あちこちで傷みが出てきているため、修繕が必要になってきました。そこで、2025年3月からクラウドファンディングで、修繕費用100万円を調達しました。(ひと月で達成したそうです)

また、これまでの2回は、大蛇を車輪の付いた台車に載せたまま、引き回していました。今年は担ぎ手300人を募集し、大蛇みこしを完全に人の手で担ぐことにしました。(上記のチラシの写真をよく見ると、台車の一部が映っています)こちらもあっという間に担ぎ手の定員数に達し、4月10日に受付を終了したそうです。
大蛇みこしには、大蛇まつりにかける多くの人たちの思いが、ぎっしりと詰まっていることを感じました。
<大蛇みこし渡御のゴール>
17:30 15:30に出発した渡御は、途中40分間の休憩を挟み、2時間後の17:30に出発した地点にゴールしました。

ゴール手前の最終コーナーを回る様子です。108.22mの大蛇みこしが完全に目の前を通り過ぎるまでには3分近くかかりました。(動画を早送りしてご覧ください)
赤城神社の宮司さんによって、108.22mの大蛇みこしの特別渡御の完了が宣言されました。大成功でした。担ぎ手の皆さん、お疲れさまでした。

<大蛇まつりを支えている人たち>

この日、集まった大勢の観客をもてなすため、さまざまなイベントが行われていました。「焼まんじゅう」の無料配布や抽選会もありました。抽選会では、ペットボトルカバーが当りました。

「日本白蛇三大聖地」の一つである山口県・岩国市から、岩国の白蛇が展示されていました。お客さんに大人気でした。ちなみに、三大聖地とは、老神温泉、岩国市、東京の蛇窪神社です。今年は三大聖地がタイアップして、「巡礼スタンプラリー」も行われています。

<若衆みこし渡御>
大蛇みこしは、これで終わったわけではありません。夜の19時から22時まで、地元の「若衆みこし」が温泉街の各旅館を順番に訪問していました。私が宿泊していた旅館の順番は最終番だったせいか、担ぎ手は酔っぱらっており、完全に出来上がっていました。

まつりの盛り上がりは最高潮に達しました。
それぞれの旅館では、旅館の関係者による日本酒の一気飲みが行われます。一升を飲み干さない限り、この騒ぎは終わりません。5分くらいかけて、代わる代わる一升瓶を口にし、空にしました。
こうして、大蛇まつりの1日目は22時を過ぎて、やっと静けさを取り戻しました。
この後、旅館の露天風呂で、地元の古老から話を聞くことができました。12年後にまた、108.22mの大蛇みこしを実施できるか心配していました。リーダーとなってやってくれる人がでてくるのか、人口が減っていく中、担ぎ手を集めることができるのか、心配は尽きないようでした。
毎回、進化している「大蛇みこし」の12年後は、おそらく現在の私たちが想像もつかないような斬新なアイディアを駆使して行われていると思いました。その時はまた来ますよ、といって露天風呂を後にしました。
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