2024年1月8日(成人の日)、伊勢崎市宮子町にある「龍神宮」を訪れました。市内を流れる広瀬川の河川敷に「龍神宮」があり、浦島伝説が残されていました。
場所は、伊勢崎オートレース場の東側です。ちょうどレースが開催されていて、オートバイのエンジンの爆音が響いていました。この辺りは「竜宮」という地名のようです。
河川敷の堤防上の遊歩道沿いの「龍宮休憩所」です。
ここから、20mくらい行くと、階段と手すりが見えてきました。階段の先には、こんもりとした林と赤い鳥居が見えています。どうやらここが「龍神宮」のようです。
鮮やかな朱色の「一の鳥居」とその奥に「二の鳥居」が見えてきました。
「二の鳥居」の先には、「龍神宮社」が見えています。
「龍神宮社」の右側に「龍宮の伝説口口相承龍宮本記」と記した立派な石碑が建っていました。
「昔から龍神宮は地元地域の守り神として崇敬され、龍宮浄土の伝説もあって地名となり文化財として誰からも慕われてきました。近年は平和と繁栄の時代の中で地域の里づくりが盛んになり、此の地に於ても環境整備の発案が起草され、皆様の心からのご賛同を頂き団結と融和を果たす郷土の名所として面目一新を成し遂げました。別碑に奉賛者名を記し、永く後世に伝えるものです。
平成六年(一九九四)七月二十八日
伊勢崎市宮子町龍神宮整備委員会
伊勢崎市佐波新名所観光推進委員会
建立」(石碑の碑文より抜粋)
宮子の竜宮
「広瀬川と荒砥川の合流点あたりを、昔からこの附近の人たちは、竜宮の名で呼んで来た。
三四十年前までは、うっそうと樹木が茂り、苔や羊歯の一面に生えた巨巖を背後にした小さな祠があって、この巖の下のあたりは、何時ももの凄い渦が巻いていて何となく不気味な渕であった。昭和二十二年のカスリン台風の後の河川改修で、広瀬川の川幅も四倍程になり、右岸の堤防も立派なものが構築されたので、竜宮の景観も昔のような凄味がなくなってしまった。竜宮には、いろいろの伝承があって、江戸時代の中期の宝永元年(1704)に書かれた「口々相承竜宮本記」という記録によると、当時竜宮のあたりは千間渕、または覚満渕などと呼ばれて、その渕の底には竜宮があるものと信じられていた。」
伊勢崎郷土文化協会「伊勢崎散歩」より
いせさきの伝説
伊勢崎市観光協会のHPには、「いせさきの伝説」として、龍宮伝説が紹介されています。
「宮子の農家の隠居で阿感坊という者が薪を伐りに来てナタを淵に落とし、それを取りに入って遂に龍宮浄土へたどりついた。ここに三日間いて、土産に竜馬石・ものう玉・正観音の金仏をもらい帰ってみると、三日と思ったのに、三年の月日が経っていたという。」
これが伊勢崎浦島太郎伝説となり、この地に「龍宮神」が建立されたきっかけとなったとされています。上記の石碑建立と同時期に「浦島太郎像」も奉納されていました。
小学唱歌「浦島太郎」の歌詞です。
「花の竜宮路」という歌謡曲まであったようです。
広瀬川に架かっているのは「竜宮橋」です。
石碑や浦島太郎像が作られた平成六年(一九九四)。少なくとも今から30年前には、この「龍神宮」が郷土の誇りとして大切にされ、そして、地域の里づくりの起爆剤として並々ならぬ思い入れがなされていたことが伺えました。今でも、きれいに整備されているので、その思いは、後世に引き継がれていると思いますが、辰年を機に、さらなる脚光を浴びることを密かに期待しています。
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