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​身近な風景

ウズベキスタン紀行(序章)

  • 執筆者の写真: tokyosalamander
    tokyosalamander
  • 2月20日
  • 読了時間: 3分

2026年2月20日(金)、吉田さんの「アイスランド紀行」に続く第2弾、「ウズベキスタン紀行」を紹介します。

吉田さんは、2026年2月7日(土)~11日(水)の4泊5日の日程で、ウズベキスタンの首都タシケントを経て、古都サマルカンドを旅しました。


ちなみに、吉田さんは、以前からテレビや写真で青の街「サマルカンド」を見て、一度本物を見てみたい、と思っていたそうです。そこに、阪急交通社(トラピックス)主催の「おひとり様限定<羽田発着>サマルカンド2連泊で世界遺産を楽しむ星の街ウズベキスタンモニターツアー5日間」のお知らせが舞い込み、飛びつきました。一人部屋で18万円(諸経費を入れた総額は22万円程度)と、他と比べて格安だったそうです。


今回、吉田さんからは、約10分の1に厳選された写真約250枚とキャプション(総計10000字超)をいただきました。

(すべてプリントアウトしました)


しかし、古都サマルカンドと言っても、私には「ああ、あそこか!」とイメージすることも知識もありません。そこで、高校の世界史の先生に頼んで、世界史の教科書をお借りすることにしました。


高校の地歴の教科書では著名な山川出版社の「世界史探究 高校世界史」です。

実は、この教科書の表紙の写真こそ、サマルカンドの「シェル・ドル・マドラサ」(イスラム神学校(マドラサ)、レギスタン広場を構成する三大建築のひとつ)だったのです。


吉田さんの「ウズベキスタン紀行」の序章として、古都サマルカンドにまつわる歴史などを私から紹介した後、吉田さんに案内してもらおうと思います。


<シルクロード時代(紀元前後〜7世紀)>

サマルカンドは、東の中国(漢・唐)と西のペルシア・ローマ世界を結ぶ交易の要衝となり、国際都市として知られるようになります。

The Silk Road and other caravan routes of Eurasia in the 1st century A.D. より


<モンゴル帝国の全盛期(13世紀頃)>

13世紀に入ると、チンギス=カンによって、中央ユーラシアから東西に広がる巨大なモンゴル帝国が出現しました。この時期、モンゴル帝国は日本にも「元寇」として出兵しています。チャガタイ=ハン国のサマルカンドも、チンギス=カンによって破壊を受けました。

山川出版社「世界史探究 高校世界史」p120 より


<15世紀頃のアジア>

14世紀に入ると、ユーラシア規模で疫病(黒死病:ペスト)が広がり、自然災害や飢饉や内紛が勃発し、モンゴル帝国は解体しました。そんな中、チャガタイ=ハン国から台頭したティムール(1336~1405年)が、中央アジアにティムール朝を樹立しました。

山川出版社「世界史探究 高校世界史」p124 より


ティムールは、1370年のサマルカンド入城以降、戦争で負けなかった名将でした。その一方で、「チンギス=カンは破壊し、ティムールは建設した」といわれるように壮麗な首都を建設し、彼の愛した青色のタイルで多くの建物を飾りました。

↑ウズベキスタンの首都タシケントにあるティムール広場の像(顔は墓廟の遺骨から復元して作成されました。吉田さんの撮影です。)


ティムール朝期には、イラン=イスラーム文化とトルコ=イスラーム文化とが交わり、文芸や建築などの分野で高度な文化が生まれました。当時の首都サマルカンドには、モスクやマドラサ(神学校)が建設されました。また、ティムール期の君主ウルグ=ベクが建設した天文台を中心に、天文学や暦法が発達しました。


このような歴史的な背景を持つサマルカンドには、様々な呼称があります。


青の都」(青いタイル装飾の建築が多い)

東方のローマ」(古代から交易と文化の中心だった)

シルクロードの真珠」(東西交易の重要拠点だった)


さて、お待ちかねの吉田さんが、いよいよ「サマルカンド」に向けて移動を開始しました。


吉田さんの「ウズベキスタン紀行」(前編)に続きます。

 
 
 

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