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​身近な風景

オーケストラ・ウィーク②

執筆者の写真: tokyosalamander
tokyosalamander
60 分前
読了時間: 5分

2026年9月20日(日)、オーケストラ・ウィークの2日目は、東京芸術劇場(池袋)で読売日本交響楽団の演奏を聴きに行きました。


<プログラム>


グラズノフ/演奏会用ワルツ第1番

チャイコフスキー/ヴァイオリン協奏曲

《休憩》

ラフマニノフ/交響的舞曲


指揮:ユライ・ヴァルチュハ(首席客演指揮者)

ヴァイオリン:金川真弓



今回は、ラフマニノフ/交響的舞曲 がお目当てでした。

ラフマニノフが最後に完成させた新作で、本人も自らの最高作と考えていたと伝えられています。でもなかなか演奏される機会はありません。


交響的舞曲について、ラフマニノフは「何が起こったのか自分でもよく分からないが、おそらくこれが私の最後の煌めき(きらめき)だろう」と語っています。楽譜の最後には「主よ、汝に感謝す」と記されています。それだけの自信作だったのでしょう。


この曲を実演で聴いてみたい、これも念願の一つでした。

正直、オーケストラで選んだとかではなく、他にどんな曲が演奏されるのかも気になりませんでした。しかし、このコンサートを実際に聴いてみると、いろいろな仕掛けがあったことに気が付きました。



第1曲:グラズノフ/演奏会用ワルツ第1番


→華やかな幕開けのワルツです。19世紀ロシアの華麗な舞踏会。優雅で明快、色彩的な演奏でした。ここで、ヴァルチュハ指揮の読売日本交響楽団(以下、読響)の音色や響きに驚かされました。東京芸術劇場の素晴らしい音響と相まって、読響の豊潤で分厚い響きは、まさにゴージャス。日本のオーケストラからもこんな音が出るのかと思いました。昔、レコードで聴いていたオーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団の音色がこんな感じだったなあと思い出しました。



第2曲:チャイコフスキー/ヴァイオリン協奏曲


→この曲は、これまでに何度もCDや実演でも聴いたことがありました。しかし、金川真弓のヴァイオリン演奏はそのどれとも違って聴こえました。快速・爽快な名人芸でバリバリ弾くのではなく、ゆったりしたテンポで旋律を十分に歌わせ、メリハリのある濃厚な表情が随所にみられました。ストラディバリウスの豊かな響きも読響の豊潤な響きとマッチしていました。金川さんの歌心がヴァイオリンを通して絞り出されてくるような切実さを感じました。ヴァルチュハ指揮の読響も、金川さんが構築する音楽の世界を一緒になって作っていることに感動しました。この曲は1878年に作曲されましたが、今回の演奏は、時にラフマニノフが活躍した時代のハリウッド黄金期の映画音楽のように聴こえることもありました。


会場からの熱狂的な拍手に応えてアンコールが演奏されました。

プロコフィエフ《無伴奏ヴァイオリン・ソナタ ニ長調 》は1947年作曲です。

次に演奏されるラフマニノフの《交響的舞曲》とほぼ同じ20世紀前半〜半ばの作品で、プロコフィエフ晩年の抒情的で内省的な表情が印象的でした。



第3曲:ラフマニノフ/交響的舞曲


→題名こそ「舞曲」ですが、実質的には3楽章からなる交響曲に近い大作です。全体で約35分。しかも各楽章が単なる踊りではなく、ラフマニノフ晩年の「回想」「死」「再生」といった世界まで含んでいます。


第1楽章:力強い舞曲+回想

第2楽章:妖しく、不安で、退廃的なワルツ

第3楽章:「死」と「再生」の対決


私にとって、交響的舞曲の最大の魅力は、とにかくかっこいい旋律です。特に第1楽章の冒頭では、読響の弦楽器が力いっぱいに弾く豊潤で分厚い音には痺れました。さながら映画音楽の幕開けのように響きました。アルト・サクソフォンと木管の独特な色彩感がラフマニノフの心の中の声(母国のロシアへの郷愁)を表現しているようです。


第2楽章の舞曲はワルツですが、1曲目のグラズノフの華麗なワルツから大きく変容しています。作曲された1940年頃、ヨーロッパでは第2次世界大戦が始まっていました。このワルツは失われたヨーロッパ、あるいは失われた過去の舞踏会を遠くから眺めているかのようです。ラフマニノフは、最終的には削除されましたが、この楽章に「黄昏」という名前を付けていました。ワルツが輝いていた時代、自らが生きた華やかな時代を遠くから振り返り、失われた世界が記憶の中だけで踊っている――そんな妖しい舞踏会のようにも聴こえます。


第3楽章では、再びこの曲の見せ場がやってきます。この楽章には「真夜中」という題名が付けられていました。ここでは、完全に日が沈み、死そのものと向かい合っているようにも聴こえます。過ぎ去った世界への哀惜から始まり、死との対峙、それでも最後は復活へ、という大きな精神的ドラマが展開されます。


この流れは、先週(9月13日)群響定期で聴いたマーラーの交響曲第2番「復活」と似ていますね。しかし、マーラーが作曲したのは34歳の時で、「死がある。それでも人生には意味がある。だから生きる」と前向きなエネルギーで未来へ突き抜けました。人類や宇宙を感じさせる響きです。


それに対して、作曲された1940年はラフマニノフ67歳。人生は過ぎ去った。死も避けられない。それでも最後には、死を超えて生命を肯定し、神への感謝へと至ります


それでは、なぜ、この曲は最後は攻撃的ともいえる物凄い盛り上がりで終わるのでしょうか。ラフマニノフは、生命を静かに讃えて終わるのではなく、死の力に呑み込まれないように最後まで格闘し、それを振り切ることで、ようやく乗り越えることができた、と感じていたのだと思います。楽譜の最後にも「主よ、汝に感謝す」と記されています。


ヴァルチュハ指揮の読響の演奏は、こうした精神的なドラマをダイナミックに表現してくれました。そこには、どうしても豊潤な音響が欠かせなかったと思います。


実は、この作品は最終的にオーマンディとフィラデルフィア管弦楽団に献呈され、1941年1月3日、両者によって世界初演されています。つまり、ラフマニノフがフィラデルフィア管弦楽団の響きをかなり具体的に意識して書いた作品ともいえます。


ヴァルチュハ指揮読響の演奏が、往年のオーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団の豊饒な音を彷彿とさせたことは、この曲の真価を伝えるうえでも重要だったのではないかと思いました。


グラズノフの演奏会用ワルツから始まり、チャイコフスキー/ヴァイオリン協奏曲の金川さんの濃密な歌心を経て、それら全ての響きは、交響的舞曲に向かっていたことを感じました。



オーケストラ・ウィークの2日目は、読響の豊潤な響きを堪能することができました。

 
 
 

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