2025年2月25日(火)。現在、佐野市立吉澤記念美術館で「木造エラスムス像」が展示されています。佐野にゆかりのある重要文化財「木造エラスムス像」は、東京国立博物館に寄託されていますが、佐野市制20周年記念特別企画展「丸山瓦全と佐野のお宝保護作戦!」(1月25日~3月9日)の中で見ることができます。これは必見です!

佐野市立吉澤記念美術館のロビー入り口付近
エラスムスって誰?
人によっては、高校の世界史の授業でその名前を聞いたことがあるかもしれません。デジデリウス・エラスムス(1469年~1536年)は、ネーデルランド(現在のベルギー、オランダ、ルクセンブルクの3か国(ベネルクス)にあたる地域)出身の人文主義者、カトリック司祭、神学者、哲学者です。主な著作に「痴愚神礼賛」「校訂版 新約聖書」「幼児教育論」などがあります。
エラスムスは、マルティン・ルターらとともに、宗教改革の激動の時代を生きた人物です。当初、ルターとエラスムスはお互いに好意的な関係にありましたが、ルターの進めるプロテスタント運動(宗教改革)の過激的な進展の中で、キリスト教の統一を唱え、戦争を批判し平和を重んじたエラスムスは、次第に「反ルター派」と目されるようになり、エラスムスへの批判も高まりました。さらに、「痴愚神礼賛」はエラスムスの意図を離れて、反カトリック教会的書物とみなされ、のちにカトリック教会の禁書目録に加えられることとなるなど、孤独な晩年を迎えました。一方、「幼児教育論」(1529年)は、子供といえども一個の人間であり、これまで続いてきた鞭による非人間的な教育は人間を奴隷化するものだと主張しています。本書は人類の歴史上最初の「子供の人権宣言」であるとも言われています。

(エラスムス像研究会作成資料より)
木造エラスムス像とは?
エラスムスが活躍していた頃は、西洋の大航海時代の真っただ中でした。オランダの貿易会社は航路の開拓や東洋の国々との交易のため、5隻の船団を編成し、1598年6月にオランダのロッテルダムを出帆させました。当時のオランダ船はキリスト教に関する船名を付け、船尾には航海の守り神・船の目印として、船名に因んだ船尾像を艤装していました。5隻のうちの1隻リーフデ(慈愛)号は、建造当時は「エラスムス号」と呼ばれており、その船尾像には、船名に因んで「木造エラスムス立像」が艤装されていました。しかし、宗教改革の激流の中で、エラスムスに対する評価が変わってしまったことから、出帆する間際に、エラスムス号からリーフデ号に改名されました。しかし、エラスムスの船尾像はそのまま残りました。


(エラスムス像研究会作成資料より)
それがなぜ佐野に?
オランダの貿易会社の5隻の船団の航海は苦難に満ちたもので、リーフデ号だけが、1年10か月後の1600年4月に豊後国(今の大分県)にたどり着きました。関ヶ原の戦いが起こる約半年前のことでした。リーフデ号がオランダを出航した時には110人の乗組員がいましたが、日本にたどり着いた時には生存者25名、そのうち立ち上がれるものは5~6名という悲惨な状況でした。その中の一人がイギリス人の航海士ウィリアム・アダムス、のちに徳川家康から外交顧問として重用されるようになり、日本名で三浦按針(みうら・あんじん)と名乗った人物です。リーフデ号から外されたエラスムス像は三浦按針が譲り受けたとされています。しかし、すでにキリスト教は禁教となっており、キリスト教の宣教師を思わせるエラスムス像を守っていくことは困難となったため、三浦按針は信頼を置いていた牧野成里に託しました。牧野は、エラスムス像を下野国の菩提寺龍江院(りゅうこういん)(佐野市上羽田町)に納めました。そこで、古代中国の造船の創造者の名前をとって「貨狄(かてき)様」と称して祀ることで、400年を超えて現在まで守られてきたと考えられています。


誰がエラスムス像を発見したの?
エラスムス像は、それまで「貨狄(かてき)様」あるいは、怖い「小豆とぎ婆(ばばあ)」と呼ばれてきました。その像の正体を解明したのは、足利の考古学者・丸山瓦全(まるやま・がぜん:1874~1951)でした。大正8年(1919年)、龍江院の宝物調査に赴いた瓦全がこの立像に注目し広く紹介し、この像が1598年にオランダで建造され、三浦按針が乗ったリーフデ号の船尾像であることを解明しました。オランダからは船尾像の返還が求められましたが、瓦全は国内に所在する意義を説いてオランダへの流出を阻止しました。そして、昭和5年(1930)に旧国宝の指定を受けました。
このように、丸山瓦全のおかげで、エラスムス像が発見され、さらには国外流出の危機を乗り越えることができました。

佐野市制20周年記念特別企画展「丸山瓦全と佐野のお宝保護作戦!」のチラシより
木造エラスムス立像は、西洋と東洋の繋がりを今に伝える貴重なお宝です。それが400年にわたって佐野に存在していたことの意義を今回の企画展で確かめることができます。「木造エラスムス立像」の実物を見ることができる貴重な機会です。お見逃しなく。
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