ウズベキスタン紀行(前編)
- tokyosalamander
- 3月1日
- 読了時間: 7分
更新日:3月2日
2026年2月28日(土)。吉田さんの「ウズベキスタン紀行」(前編)を紹介します。前編は「世界遺産」サマルカンド観光(初日)までのダイジェスト版です。

①羽田からタシケントまで
2026年2月7日(土)8:30、羽田空港から中国国際航空で北京に出発しました。(飛行時間4時間25分)

北京で4時間のトランジット時間があったのですが、LINEを始め、yahooもGoogleも繋がりませんでした。それどころか、空港のフリーWi-Fiを使うにもパスポートの写真登録をするがありました。防犯カメラだらけで、改めて中国の怖さを感じました。
2026年(中国の春節以降)の中国は、日本と同じ十二支の午年(うまどし)です。

ウズベキスタンの首都タシケントには、19:30に到着しました(中国国際航空、飛行時間6時間15分、約4000Km)

タシケント国際空港は、ウズベキスタン最大の空港で観光客も多いです。コーヒーの自動販売機では、15000~25000スムで売られていました。1スムは0.012円ですので、0.012をかけると180円~300円となります。日本と同じくらいの値段です。
↓これがウズベキスタンの紙幣です。最小額の5000スムは、日本円で60円でしかありません。硬貨は1000スム(=12円)や500スム(=6円)がありますが、インフレの影響で使われることはあまりないそうです。紙幣かQR決裁が主流です。

コーヒーの自販機も紙幣対応だったそうです。
吉田さんがウズベキスタンで手にした硬貨は、この500スム(=約6円)1枚だけでした。この硬貨で15000スムのコーヒーを買おうとすると、30枚も投入しなければなりませんね。

1日目はタシケント泊。
②タシケントからサマルカンドへ
2日目は、タシケント駅からスペイン製の高速鉄道「アフラシャフ号」(2等エコノミー)でサマルカンドまで移動しました。最高時速250km/hで約2時間半で到着しました。

「アフラシャフ」は、サマルカンドの古代名(アフラシャブ遺跡)に由来しています。

列車の中央付近にビストロ車あり、ドリンクや軽食、フルーツなどを購入できました。ちなみにフルーツは50,000スム(約600円)、ビールは100,000スム(約1200円)でした。


タシケントからサマルカンドまで約589kmあります。東京から1日半で、ようやくサマルカンドに到着しました。サマルカンドでは2日間(2泊)滞在しました。
③グル・アミール廟
最初にサマルカンドで訪問したのは、ウズベキスタンの英雄、ティムール王が眠る霊廟です。青いタイルが美しい建物です。グル(Gur:墓)・アミール(Amir:支配者)は、「支配者の墓」という意味があります。廟には、ティムール王とその息子、孫などが眠っています。

室内の装飾も美しく、魅了されます。

一番奥がティムールの師の墓石、真ん中の黒い墓石がティムールのもの、手前がティムールの孫の墓石、左右はティムールの息子たちの墓石です。

しかし、本当の遺骨が入っている墓石は、ここから3m地下の全く同じ位置に置かれています。その場所は一般公開されておらず、厳重に保存されています。
④ レギスタン広場
次に訪れたのはレギスタン広場。レギスタンとは砂の( reg )場所(-stan)という意味です。その昔、この場所は川の流れによって砂が堆積した砂地の広場でした。そこがやがて都市の中心広場となり、市場や公開処刑、王の布告などが行われる重要な場所になりました。
モンゴル軍にアフラシャブ市街が破壊されたのち、ティムールの孫のウルグベグの時代になると、壮麗なマドラサ(神学校)が建設されました。今では歴史的建築群として、サマルカンドの象徴とも言える場所となっています。

(1)左側は最も古いウルグ・ベクのメドレセ(1420年造)です。ティムール朝の君主であり、優れた天文学者・数学者でもあるウルグ・ベクが建てたことから、そう呼ばれています。

ここは単なる宗教学校ではなく、神学(イスラーム法など)、数学、天文学、哲学といった高度な学問が教えられていました。つまり、学問を愛した王が建てた、当時最先端レベルの大学のような学校です。
右側に建っている細長い塔(ミナレット)の中を登ることができました。狭い急な階段でした。天窓から顔を出し、360°眺めるというものでした。10万スム(約1200円)。

(2)レギスタン広場の右側に建っているのは、2番目に古いシェルドルのメドレセ(1636年造)です。
シェル(sher)はライオン、ドル(dor)は~を持つ、という意味です。偶像崇拝を禁じるイスラム教では珍しく、正面入口の上に、ライオン、シカと顔が磁器タイルで描かれています。動物装飾が特徴のメドレセです。


ちなみに、序章で紹介した山川出版社の高校教科書「探究世界史」の表紙につかわれているのが、シェルドルのメドレセです。裏表紙は、中庭(裏側)から見たメドレセです。

(3)最後に、レギスタン広場の中央に建っているのが、一番新しいティラ・カリのメドレセ(1660年造)です。ティラ・カリ(Tilla-Kari)は、金(tilla)で装飾された(kar)という意味で、「金箔の神学校」と言われています。

中に入ると中庭があり、左手の青いドーム内に入ることができます。ドームの内側の礼拝所は金箔で覆われており、息を飲む美しさでした。どう観ても丸く窪んだドーム状の天井の様に見えますが、実際は平面で、遠近法を使ってドーム状に見せているそうです。

この礼拝所の修復に金が3kg使われたという話も残っています。この建物は、神学校と金曜モスク(大きな礼拝用モスク)の両方の役割を持っていました。
このように、レギスタン広場の三つのメドレセにはそれぞれ特徴があります。
ウルグ・ベク・メドレセ → 学問重視・最古
シェルドル・メドレセ → ライオン装飾
ティラ・カリ・メドレセ → 金の内装・礼拝
これらが三つ揃って、レギスタン広場の美しい景観をつくっています。
レギスタン広場の周辺では、多くのカップルがウェディングフォトを撮っていました。

夜6時ごろに再訪すると、ライトアップされたレギスタン広場を見る事ができました。

⑤ビビハニモスク
次にレギスタン広場から北東に歩いて10分ほどのビビハニムモスクを訪問しました。
ビビハニムはティムール王の最愛の妻の名前で、1398年にティムールがイスラム世界の建築技術の粹を集めて建設した中央アジア最大のモスクです。

入り口のアーチは高さ35mで、中庭も167m×109mの広さがあり1万人以上の礼拝者を収容できたといいます。その建造にはインドから連れてきた100頭近い象が投入されたそうです。

しかし、急造であったため、基礎工事に欠陥があったようで、建築直後から崩壊が始まり、1897年の大地震でかなりの部分が崩壊し、ソ連政府のもと、修理が進んだそうです。
まだまだ修復途中でカビが生えたままの建物などもありました。

また、中庭には、世界最大級のコーランがありました。

⑥シヨブ・バザール
最後に紹介するのは、ビビハニムモスクに隣接するシヨブ・バザールです。サマルカンド最大のバザールで、2000年以上も前からシルクロードの時代を経て続いているという説もあります。
旬の果実、野菜、ナッツやドライフルーツ(レーズン、アンズなど)、スパイス、日用品などの屋台が所狭しと並んでいました。多くが量り売りですが、ほとんど値下げ交渉が出来ませんでした。

ウズベキスタンは大綿花地帯であり、ハチミツも綿花のハチミツが有名です。バケツのようなものから各種大きさの小瓶に分け取る量り売りでした。
右の茶色いのは色々混ざった草原のハチミツ、中央の黄色いのは綿花のハチミツ、左の白っぽいのは綿花のハチミツが1年以上たち水分が飛び濃く固めになったものです。

ナッツ売りです。

店員が持っているのは干し葡萄で、日本より大きく長いものでした。

こちらはドライフルーツでしょうか。種類は豊富です。

サマルカンドナンも売っています。インドのナンとは全くの別物で、どちらかと言えばベーグルに近い味と硬さでした。大きさは直径30cmほどある巨大なもので、どこのレストランでもこのナンがカットされて出てきました。

↓こんなふうに!

サマルカンドへの旅行者は必ずこのナンをお土産に買って帰るそうです。
車のトランクに5、6個詰めているお客さんがいました。

お店では冷めないよう絨毯のようなもので包まれていました。
1個3万スム(=約360円)でした。
以上が、世界遺産サマルカンドの初日まででした。
私にとっては非常に楽しく刺激が多すぎて、情報、特に写真を精査し整理しきれません。
長い一日が終わりました。
(後編に続く)




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