ウズベキスタン紀行(終章)
- tokyosalamander
- 17 分前
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2026年3月15日(日)、吉田さんのウズベキスタン紀行(終章)をお届けします。ウズベキスタン紀行(序章・前編・後編)と紹介してきましたが、今回で完結です。

ウズベキスタン観光(3日目)、サマルカンドのホテルを朝8時にバスで出発し、昼過ぎに首都タシケントに到着しました。タシケント観光の後、帰国の途に着きました。
ウズベキスタン紀行(終章)では、現在のウズベキスタンの風景や人々の暮らしなどについて紹介します。
①サマルカンドの朝の風景
2026年2月10日(火)朝7時30分、ホテル2階のテラスから見た朝日です。

サマルカンドは標高720m。日光いろは坂の登り始めぐらいの標高です。冬は極寒を想像していましたが気温は最低3℃〜最高17℃。東京より暖かく、ヒートテック(極暖)の出番はありませんでした。ちなみに、世界遺産としての景観を重視するため、ご覧の通り高層の建物はありません。

サマルカンドのホテル室内
観光3日目、サマルカンドからタシケントまでのバス移動の旅が始まりました。走行距離は310km(おおよそ東京・仙台間の直線距離)、昼食含め約6時間の旅です。
②バスの車窓から見た風景

写真左奥に人混みが見られますが、毎日バスに乗って日帰りでアルバイトに来ているタジキスタン人だそうです。タジキスタンは中央アジアで最も貧しく、GDPはウズベキスタンの1/8程度のようです。
ウズベキスタンは果物の豊かな国です。様々な果樹園が広がっていました。

果物の屋台なども多く見ました。

サマルカンドから1時間半ほどのジザーク州です。
風景は岩石砂漠のようになりました。車窓から見ていて全く飽きません。

電線が見られますが、電力状況はよくなく、隣のキルギスタンとタジキスタンから電気を買っているそうです。そのため、中央アジア初の原子力発電所建設の計画が進んでいるそうです。しかし、ウランは国内で取れますが、核処理廃棄物をどうするかで国会でもめているそうです。
ジザーク郊外にはマンションの建設も進んでいました。

こんな殺風景な土地になぜ?
道端にメロン屋さんがありました。とにかく果物は豊富です。

秋収穫の長期保存のできるメロンのようです。
サマルカンドから3時間のシルダリア。
この辺はコウノトリが多く、多くの電柱に巣が作られていました。

電柱の上に、コウノトリの巣が乗っているのがわかりますか?

ヨーロッパでは「赤ちゃんを運んでくる鳥」として知られているコウノトリ(漢字で書くと、鸛)は、嘴が朱色のシュバシコウ(朱嘴鸛)です。一方、渡良瀬遊水地のコウノトリ(鸛)は嘴が黒色です。
コウノトリ属には、嘴の色によって、朱色のシュバシコウ、黒いコウノトリ、青いアオバシコウ(アフリカに生息)などがいます。
③ウズベキスタンのトイレ事情
ガソリンスタンドでトイレ休憩しました。

トイレはレストラン以外、公共施設も含めどこも有料です。1回3000スム(日本円で40円程度)です。真ん中に徴収おばさんがいます。カードやドルは使えないので必ず少額のスムを持っている必要があります。

ちなみに、これは1000スム紙幣です(旧シリーズ)。現在でも流通している最小額の紙幣です。1994年には1スム紙幣も発行されていましたが、インフレのため、低額紙幣は流通停止(withdrawn)となり、次々と高額紙幣が発行されています。
(ウズベキスタン中央銀行(CBU)の公式HPより)Notes - The Central Bank of the Republic of Uzbekistan
レストランのトイレは、ほとんどが洋式ですが、郊外のトイレはトルコ式(スクワットトイレ)が多いようです。どこも清潔でしたが、お尻を拭いた紙を流してはいけないのが難点です。

男性トイレで小便器がないところも多いです。基本、トイレは座って用を足すもののようです。

足洗い場のようなものもありました。
所変われば、トイレ事情は全く違いますね。

天然ガスの産出国であるため、自動車は天然ガス車が多く、LPG車と合わせると8割程度を占めるそうです。ガススタンドも一番目につくのはメタン、次がプロパンスタンドでした。
④車窓から見たタシケントの風景
ようやく首都タシケント市内に入ってきました。

車の関税が80%と高いため、車の9割は国産車です。韓国車の国内工場がアメリカのシボレーに買収され、Uz Auto Motors となったそうです。多くの車にシボレーマークが付いていました。
また中国BYDとの合弁会社もあり、最近電気自動車も増えているそうです。バイクは全く走っていません。夏暑く冬寒い他、乗用車が3000ドル程度(≒50万円程度)で買えるので、一家に2,3台はあるそうです。そのため、街中の渋滞や駐車が問題になっているそうです。
市内にはあちこちに監視カメラがあり、シートベルトの取り締まりをしているそうです。罰金がいくらか忘れましたが、携帯番号を登録しているとその日のうちにメールが届くそうです。また、飲酒運転の取り締まりも厳しく、3年間免許取消し、罰金は1000ドル。しかも取り締まった警官が罰金の34%(≒54000円程度)を受け取れるとのことで、警官は週末頑張るそうです。😅 交通にも厳しい安全な街です。

なお、バスも電気バスが半数以上を占めています。2020年以降製造のバスしか使えず、車検も年3,4回あるそうです。環境や安全に配慮した街づくりが進んでいます。

首都タシケントでは近年マンションの建設ラッシュが続いています。中央アジアで最大規模の都市で、急速な都市化が進んでいます。タシケント市の人口は2025年初頭時点で約311万人 (大阪市の人口に近いです)となっており、年平均で約10万人増加しています。
また、ウズベキスタン全体が若年層の割合が高く(平均年齢28歳)、地方から首都への労働力移動が活発のようです。
マンション下部にある施設に、学生たちが集まっていました。

Googleマップで調べたところ学習塾のようでした。

ウズベキスタンは高校まで無償で進学率はほぼ100%、大学進学率も近年急激に高まり50%を超えているそうです。この塾の口コミ評価は4.3と高いですが、評価1も多く、その内容はどの国も変わらないなぁと思いました。😅
→さすがは吉田さんです。タシケントでここまでチェックする日本人はまず、いないでしょう!
ソ連崩壊後の困難期を乗り越え、今、急激な発展を遂げている将来楽しみな国でした!
中央アジア初のディズニーランド計画も進んでいるそうです。
⑤タシケント市内観光(→日本人との関係が深い街)
タシケントにはサマルカンドのような古都の雰囲気がありません。それは主に1966年の大地震による壊滅的な被害と、その後のソ連主導の都市計画が原因のようです。
旧市街の古い建物が失われ、モダニズム様式の大都市として、行政・経済の中枢として機能的な街づくりが優先され再建されたため、歴史的建造物が少なくなっています。
今回観光した場所も全て第二次世界大戦後に作られたものでした。
<タシケント・ヤッカサライ日本人墓地>
最初に訪問したのはタシケント・ヤッカサライ日本人墓地。タシケント中心部のヤッカサライ地区に位置し、広大な市営墓地の一画が日本人専用の区域として整備されています。

第二次世界大戦後、ソ連に抑留された日本兵のうちウズベキスタンへは、1945年から1950年にかけて約2万5000人の日本人抑留者が移送され建設業などで働かされたそうです。

ここは、タシケントで亡くなった79名の日本人抑留者が埋葬されています。墓域内には日本語とウズベク語で記された慰霊碑があり、「戦争への拒絶」と次世代へのメッセージが刻まれています。

ウズベキスタンでの死亡者は約817名とされています。
ー45℃にもなるシベリアなどの極寒の地域(死亡率約20%)に比べると、気候が温暖で、現地の人々も親切だったため、ウズベキスタンでの死亡率は約3%と非常に低かったそうです。
<ナヴォイ歌劇場>

ここは1942年に着工されましたが、第二次世界大戦により中断。1945年11月から、旧満州などで捕虜となった約457名の日本人抑留者が建設に従事し、1947年に完成しました。
1966年にタシケントを襲ったマグニチュード5以上の大地震により、周囲の建物の多くが崩壊する中、ナヴォイ劇場はびくともせず、無傷で残りました。
地震後、崩壊を免れたこの劇場は避難所として多くの市民を救いました。この出来事により、「日本人が建てた建物は地震でも壊れない」という伝説が生まれ、現代に至る親日感情の礎となりました。
尊敬を受けていた日本人抑留者の勤勉な行動について現地ガイドが以下のように紹介してくれました。
ナヴォイ劇場を建設した抑留者たちが収容されていた収容所 「第4ラーゲル」の近くに住んでいた人によると、「日本人抑留者は朝、整然と隊列を組んで出て、 労働が終わった夕方にはまた整然と隊列を組んで帰ってきていた。朝に出かけるときはいつも決まった時間に通るので、彼らの歩く下駄の音を目覚まし時計代わりにしていた人もいるほどだった。 」
またある人は 「彼らの食事は1日300グラムの黒パンと薄いスープだけだった。 その黒パンですら労働成績が悪いと減らされることがあったのだとか。ある時、大変な労働でおなかがすいているだろうからと、収容所の柵の間からパンと果物を差し入れたところ、 数日後同じ場所に手作りの木のおもちゃが置かれていた。 そのことを母親に伝えると母親にこう言われた。 『日本人は勤勉で礼儀正しい。物を作るのもうまいうえに恩を忘れない人だ。あなたも日本人のようになりなさい。 』と。
また、 ウズベキスタンの前大統領である故カリモフ氏は生前こんなことをおっしゃったそうです。 「子どもの頃母親に連れられて、毎週末日本人の収容所に行った。そして、そのたびに同じことを言われた。 『息子よ、ごらん、あの日本人の兵隊さんを。ロシアの兵隊が見ていなくても働く。人が見ていなくても働く。おまえも大きくなったら、日本人と同じように人が見ていなくても働く人間に必ずなりなさい。 』そんな言いつけを守って育ち、今では大統領になれた。 」
これと全く同じ話が舞鶴市の公式ホームページに載っていました。
ナヴォイ劇場の建設に携わった日本人抑留者の多くは、帰国の際に舞鶴港を経由して祖国へ戻りました。このことから、舞鶴市はシベリア抑留と引揚の歴史を通じてウズベキスタンと歴史的なつながりがあると認識し、舞鶴市とウズベキスタンとの人的交流が行われています。TOKYO-2020オリンピック・パラリンピックでは、舞鶴市はウズベキスタン代表選手のための「ホストタウン」となりました。
<アミール・ティムール広場>
ティムール皇帝の騎馬像です。

ソ連時代はティムールはロシア南部も侵略したことから残忍な悪者扱いをされていたそうで、この広場にはレーニン像やニコライ1世像などが立っていたそうです。ソ連崩壊後は英雄として再認識され、レーニン像等に代わり、この巨大な像が建立されました。

右後ろの建物は国際フォーラム宮殿、左後ろはソ連時代1974年に建てられた巨大なホテルウズベキスタンです。🙏🏻

<タシケント地下鉄>
ホテルウズベキスタンのすぐ脇に駅がありました。

各駅が独自のテーマで装飾されており、モザイク画、大理石、シャンデリアなどを用いた美しい駅が観光名所となっています。
我々は体験乗車として次の独立広場駅まで乗り、ホームの様子だけ観て戻ってきました。大理石とシャンデリアの美しい駅でした。
タシケントの地下鉄(タシケント・メトロ)は、旧ソビエト連邦時代に計画・建設され、1977年に開業しました。中央アジアで最初の地下鉄として知られています。 1966年にタシケントを襲った大地震(タシケント地震)からの復興計画の一環として、急速な近代化とともに建設が進められたようです。
核爆弾シェルターとしても機能するように設計されており、かつては軍事機密として構内の写真撮影が禁止されていましたが、2018年に解禁されました。入場の際のセキュリティチェックは厳しく、金属探知機のほか、警備員に鞄の中身を見せなければなりません。

車両はロシア製だそうです。新車両も導入されているそうですが、乗ったのは旧車両でした。
1回の乗車はどこまで乗っても2000スム(約25円)。
自販機でQRコードのチケットを購入し、それをかざして回転バーの入場口から入場。5分間隔程度で走っており、大変便利。車社会のウズベキスタンですが、車内は混雑していました。
⑥地元料理とレストラン
✰ラグマン
✰シャシリク
サマルカンドのレギスタン広場すぐ近くのレストランです。

中央アジア全域で広く親しまれている手延べの小麦麺料理「ラグマン」です。特にウズベキスタンでは非常にポピュラーだそうです。

硬めの焼きうどんのようです。
店外では肉の串焼き「シャシリク」を焼いていました。

イスラム教徒の多い国ですが、お酒には寛容のようで多くのレストランでお酒を出していました。このビールもウズベキスタン製で1杯50000スム(約600円)と日本と変わらなかったです。ただ、ウズベキスタンでは葡萄が取れるので、ワインの方が人気のようです。

✰ジャガイモのサラダ
✰ボルシチ
✰コヴルドク
サマルカンドにある「NAWAT」というウズベキスタン料理店です。

ジャガイモのサラダ(左)とボルシチ(右)です。


これがコヴルドク:です。 「炒めたもの」という意味で、肉とじゃがいもを油で炒めてから少量のスープで煮込んだ料理です。
ビールはチェコのビールでした。
✰トマトとパプリカのピクルス
✰薄味で脂っこいスープ
✰プロフ
サマルカンドにある「SHASHLIK」という有名なウズベキスタン料理店です。


トマトとパプリカのピクルス(左)と、薄味で脂っこいスープ(右)です。名前は分かりません。

そして、ウズベキスタンの国民食である「プロフ」です。

黄色いのは人参、とても甘くしんなりしています。肉は牛または羊で今回は日本人向けか牛肉でした。肉、人参、玉ねぎ、ひよこ豆、レーズンを多めの油とスパイスで炒め、米と一緒に炊き上げる国民食です。巨大な鍋「カザン」で男性が調理するものが有名で、お祝い事や冠婚葬祭に欠かせない、濃厚な味わいの炊き込みご飯です。脂っこさを感じるものの甘みがあり美味しかったです。

奥の大きな鍋で作ります。

お菓子は何かわかりません。甘かったです。
このお店はお酒をおいてませんでした。脂っこいのに!😅
✰マンティ
✰スマラク
サマルカンドの「KADIMA」というウズベキスタン料理店です。


マンティ (Manti / Манти):蒸し肉餃子(左側)。日本でいう肉まんに最も近く、小麦粉の皮で具を包んで蒸したものです。

ペースト状のものは、ウズベキスタンの春の訪れを祝う伝統的な煮込み料理「スマラク (Sumalak)」です(右側)。スマラクは、発芽した小麦の絞り汁に小麦粉を加え、大きな釜(カザン)で一昼夜(約24時間)かけてひたすら練り上げながら煮込んで作られます。

✰シシャリ(シャシリク)
サマルカンドの「Buyuk Samarkand Winter Restaurant(ブユク・サマルカンド・ウィンター・レストラン)」です。



シシャリ(シャシリク)です。ウズベキスタンでは、「串に刺して炭火で焼く肉料理」の定番で、羊・牛・鶏などいろいろあります。これは、チキン・シシャリです。

トルコの「シシカバブ」に似ていますが、肉を少し大きめの角切りにし、酢やワイン、玉ねぎなどに漬け込んで串焼きにしたものです。

肉の串焼き、真ん中に焼きトマト、脂身っぽい角切りも混ざっている、この出し方は、ウズベキスタンでとても典型的なシャシリクです。肉の種類はビーフが有力ですね。(by チャッピー)
ここはワインしかなく、白ワインを飲みましたが、甘く、肉には合いませんでした😅
✰サムサ(SomsaまたはSamsa)
タシケントの「Qoratosh Restaurant」です。ファミレスのような感じでしょうか。


ここでは、ウズベキスタンのパイ料理「サムサ(SomsaまたはSamsa)」を食べました。
サムサは中央アジアで広く食べられている肉詰めパン(パイ)です。ウズベキスタンでは非常に一般的な料理で、日本のおにぎりのような感覚で日常的に食べられているそうです。
具材は牛肉とジャガイモでした。


最後の料理はラグマンのようなプロフのような… わかりませんでした。
どこのレストランも日本人向けなのか、羊肉は出ず食べやすい美味しい料理でした。
また、どの店もお洒落で個性的なお店でした。
以上でウズベキスタンの報告を終了しますが、ウズベキスタンは思っていた以上に美しくお洒落で衛生的な安全な街でした。行って初めてわかったことだらけです。
絶対おすすめの観光地でした。できれば住みたいぐらいです。😊
長々と大変失礼しました。
あ、忘れていましたが、タシケントは石の町という意味だそうです。
以上、吉田さんのウズベキスタン紀行(終章)でした。これで完結です。
長期間にわたり、お付き合いいただき、ありがとうございました。




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