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​身近な風景

吉田さんのインド紀行③

執筆者の写真: tokyosalamander
tokyosalamander
9 時間前
読了時間: 6分

2026年11月8日(日)、吉田さんのインド紀行の第3弾は、インドのイスラム文化(タージ・マハール等)特集です。今回も吉田さんの写真とレポートをもとに紹介します。



<観光2日目(旅行3日目) デリー観光>


早朝からガンジス川の沐浴を見学した後、そのまま空港へ。そして、デリーに戻りました。デリー(Delhi)は広い都市圏を指す名称で、ニューデリー(New Delhi)はその中にあるインドの首都機能を担う地区です。


今回は、イスラム勢力のインド進出に関連する遺跡などを紹介します。


デリーで最初に向かったのは、クトゥブ・ミナールです。ここは、世界で最も高い高さ73mの「レンガ造りのミナレット(尖塔)」があります。これは、12世紀末、インド北部に侵攻したイスラム勢力が勝利を記念し、また礼拝の呼びかけ(アザーン)を行うための尖塔として建てられたとされています。


左側の写真で、右側に立つ黒い柱は「デリーの鉄柱」 です。こちらは塔よりもずっと古く、グプタ朝時代の4〜5世紀頃に造られ、13世紀にこの地に移されたたと考えられています。現在でもほとんど錆びていないことで有名です。当時の冶金技術の高さを示しており、科学的にもオーパーツ(場違いな工芸品)の一つとして注目されているそうです。


「レンガ造りのミナレット(尖塔)は、その後も増築が重ねられ、そのため、下層から上層に向かって赤砂岩の削り方やデザイン(幾何学模様やアラビア文字の装飾など)が少しずつ異なり、インド・イスラム建築の初期の変遷を物語っています。元々あったヒンズー教やジャイナ教の神殿の柱や石材を再利用して建てられたため、柱に刻まれた神々のレリーフが削りとられています。


古代インドのヒンドゥー教文化を伝える鉄柱「デリーの鉄柱」と、中世のイスラム建築「レンガ造りのミナレット(尖塔)が一枚の写真に収まっていることが興味深いです。ともに、1993年にユネスコの世界遺産に登録されました。デリー屈指の歴史的観光名所です。



次に訪れたのはフマユーン廟です。


ここからは、16世紀のムガール帝国の進出に伴う遺跡です。フマユーン廟は、ムガール帝国第2代皇帝フマユーンの眠る霊廟(1572年頃に建造)です。この建物は、後のタージ・マハルのモデルになったことで非常に有名です。


フマユーンは、ペルシアに亡命していた時期もあり、ペルシア文化の影響も受けています。


また、フマユーン皇帝だけでなく、彼の妃や、のちのムガール帝国の皇族たちの墓も敷地内に多数点在しており、ムガール帝国の歴史の変遷を肌で感じることができます。

フマユーン廟も、1993年にユネスコの世界遺産に登録されています。



<観光3日目(旅行4日目)アグラ観光>


デリーから約5時間かけて、230km離れた「アグラ」へバスで移動しました。


未明のスコールでホテル前の道路は冠水していました。


アグラへ向かう途中、粟畑が広がっていました


最初に訪れたのは「アグラ城」です。アグラ城は、ムガール帝国の権力と栄華を象徴する城塞兼宮殿であり、1983年にユネスコの世界遺産に登録されました。


アグラ城は、一人の皇帝によって完成されたのではなく、ムガール帝国の歴代皇帝たちによって順次拡張・再建されていきました。中でも第5代のシャー・ジャハーンは、父や祖父が建てた赤砂岩の建築物を多く解体し、大好きな白大理石造りの華麗な宮殿群へと変貌させました。


しかし、クーデターを起こして実権を握った第6代アウラングゼーブは、父シャー・ジャハーンをこのアグラ城内の「囚われの塔」に幽閉してしまいました。


シャー・ジャハーンは、晩年の8年間、幽閉されていた八角形の塔のテラスからは、亡き愛妃ムムターズ・マハルが眠る「タージ・マハル」を川越しに毎日眺めて涙を流していたと伝えられています。



続いて、そのアグラ城から約2.5kmに位置するタージ・マハルに向かいました。


重厚な赤と白の門の奥にタージ・マハルは聳えていました。



タージ・マハルは、ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが、14番目の子を出産し亡くなった最愛の妃ムムターズ・マハルの死を悼んで建てた白大理石の巨大墓廟で、1983年にユネスコの世界遺産に登録されています。


敷地全体の配置、門、庭園、建物、4本のミナレット(塔)にいたるまで、徹底した完全な左右対称で設計されています。唯一の例外は、後にシャー・ジャハーン本人が妃の隣に埋葬されたため、内部の棺の並びだけが非対称になっている点だそうですが、本物は地下に埋葬されているほか、内部は写真撮影禁止でレプリカの棺も撮影できませんでした。


この事業にシャー・ジャハーンはあまりに巨額の資金と資材を投入したため帝国の財政を圧迫しました。その後、実子のアウラングゼーブによって幽閉されることになりました。


皇帝シャー・ジャハーンは、愛妃のために建てた白いタージ・マハルの対岸に、自分自身の墓として、黒大理石のタージ・マハル「黒のタージ・マハル」を造ろうとしたという伝説があります。しかし、息子によって幽閉され、計画は実現しなかったといわれています。現在、その建設計画を裏付ける確かな証拠はなく、幻の霊廟として語り継がれています。

↑「黒のタージ・マハル」ができていたかもしれない対岸です。


タージ・マハルは多くの観光客で賑わっていました。逆さタージ・マハルが印象的でした。


夜は、地元のシアターにインド舞踊「タージマハル物語(?)」を観に行きましたが、地元のおば様方が副業でやっているのだろうか?というレベルでした(笑)


翌朝は、朝焼けのタージ・マハルを観るために早朝からヤムナー川の対岸、シャー・ジャハーンの幻の「黒のタージ・マハル」の地へ。待つこと40分、朝日は出ませんでした。


駐車場から見学地へは数百mですが、オートリクシャを利用しました。1台100~200円程度です。ここのリクシャは街中と違い電動、Eリクシャでした。ちなみに、リクシャの語源は人力車だそうで、人からオートに、そしてEへと進化してきたわけですね。


駐車場に戻った途端、朝日が出てきました。あと10分待っていたら(泣)


ホテルに戻り朝食を取った後、バスでデリーへ。

そして、最後の観光地、レッド・フォート(赤い城)に立ち寄りました。

ここは、タージ・マハルを建設した皇帝シャー・ジャハーンによって建てられ、2007年にユネスコ世界遺産に登録されました。

ムガール帝国の政治・文化の中心地として、約200年間にわたり皇帝たちの居城として機能しましたが、1857年にイギリス軍によって占領され、多くの宮殿や庭園が破壊・改築されて兵舎として使われました。


1947年8月15日、インドがイギリスから独立を果たした際、初代首相ジャワハルラール・ネルーが「ラホール門」(写真の左側の門)上で初めてインド国旗を掲揚し、現在でも毎年8月15日の「独立記念日」には、現職のインド首相がここから国民に向けて演説を行うのが恒例となっているそうです。


残念ながら内部には入らず、外観だけを眺め空港へと向かいました。


空港内も賑やか。インドはどこまでもエネルギッシュな国でした。

以上で観光編を終了します。


よろしければ、次は番外編として、動物や暮らし、食事などについて紹介します。

観光編は、自分の興味関心から書いているので説明が長くなってしまいました。



→吉田さんのインド紀行①~③によって、インドでは仏教文化の源流に、イスラム文化の奔流が加わり、大河のように大きなうねりを上げながら、現在へと続いていることがわかりました。まるで、大河ドラマを見ているようなスケールの大きさを感じました。


次回は、インドで暮らしている人々や動物などの暮らしや食事などを楽しみにしています。ばらばらのように見えるインドの多様性が、繋がっていくのではないかと期待しています。


今回もありがとうございました。

 
 
 

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