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​身近な風景

馬にまつわる物語⑳

執筆者の写真: tokyosalamander
tokyosalamander
2 日前
読了時間: 3分

2026年10月25日(日)、Daiki さんから、宇都宮二荒山神社の菊水祭と流鏑馬の写真が届きました。宇都宮二荒山神社の「菊水祭」は、江戸時代の1673年に始まったと伝えられる秋の伝統行事です。毎年10月の最終土・日曜日に行われています。


「菊水祭(きくすいさい)」は、祭神の豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)を乗せた鳳輦(ほうれん)が市街地を巡る「鳳輦渡御(ほうれんとぎょ)」が中心行事となっています。


宇都宮大明神(現在の二荒山神社)と宇都宮城を結ぶ馬場道を境に、東を下町、西を上町に分け、両町を一日ずつ渡御します。

もう一つの祭りの見どころが「流鏑馬(やぶさめ)」です。華やかな伝統装束をまとった射手(いて)が、馬を走らせながら弓で的を射る神事で、神社の大鳥居前で朝と夕方に奉納されます。


Daiki さんは、25日(日)の夕方(16時頃)の流鏑馬を見学しました。

宇都宮二荒山神社の大鳥居前で、華やかな装束をまとった二人の射手によって、流鏑馬が奉納されました。

こんな間近で、流鏑馬を見ることができるんですね。

素晴らしいです!


ところで、こんな疑問が生じました。

「なぜ宇都宮の市街地のど真ん中で『流鏑馬』が行われているのでしょうか?」


チャッピーと一緒に、いろいろ調べたり考えたりしました


二荒山神社(ふたあらやまじんじゃ)は、平安末期から江戸時代にかけては、「宇都宮大明神(うつのみやだいみょうじん)」とも呼ばれていました。宇都宮大明神は、地域を守る祖先神を祀る社であるとともに、武士たちが戦勝を祈願する重要な神社でした。


明治初期の神仏分離と神社制度の改革を転機に、「宇都宮大明神」から「二荒山神社」へと呼び名が変わったとされています。


また、現在の『馬場通り』という町名には、馬を走らせたり、乗馬の訓練をしたりする『馬場』の名が受け継がれており、馬と宇都宮の歴史的なつながりがあることがわかります。馬場町 - 宇都宮の歴史と文化財


そんな中、宇都宮大明神(現在の二荒山神社)の流鏑馬は、中世の宇都宮氏による祭礼に起源をもつと考えられています。1283年の『宇都宮家式条』には、五月会や六月臨時祭が記され、これらは流鏑馬と関係する神事だったとされています。


1673年(寛文13年)には、神社の祭礼を地域の人々がにぎやかに盛り上げる行事(付祭り)が始まり、現在の「菊水祭」へと発展しました。流鏑馬は、武士の伝統を今に伝える神事として受け継がれています。


かつては、宇都宮城から宇都宮大明神まで続く「馬場」を流鏑馬が駆け抜けていったのではないでしょうか。


(流鏑馬の走路は、あくまでも推定です。記録に残っているわけではありません。)


現在は、流鏑馬のために、神社前の道路に砂を敷いた専用の走路(馬場)が仕立てられていました。


今回は、流鏑馬という伝統行事から、城下町の中で、馬・神社・そこに暮らす人々との間にどのような関わりがあったのかを調べてみました。


ここには書きつくせませんでしたが、疑問を掘り起こしていくことも探究の一つ、と思います。


宇都宮大明神や宇都宮城に興味をお持ちの方は、是非「うつのみや歴史・文化デジタルミュージアム」をご覧ください。「宇都宮御城内外絵図」では、江戸時代の宇都宮大明神と宇都宮城の位置関係などを古地図と現在の地図を見比べることができます。宇都宮御城内外絵図


Daiki さん、今回も貴重な写真ありがとうございました。


 
 
 

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