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​身近な風景

群響:マーラー「復活」

執筆者の写真: tokyosalamander
tokyosalamander
2 時間前
読了時間: 6分

2026年9月13日(日)、高崎芸術劇場で第621回定期演奏会が開催されました。群響初登場のケンショウ・ワタナベ指揮により、マーラー交響曲第2番「復活」が演奏されました。


マーラーの交響曲第2番「復活」

指揮/ケンショウ・ワタナベ

ソプラノ/森谷真理

メゾソプラノ/林眞瑛

合唱/群馬交響楽団合唱団

合唱指揮/阿部純


約300人の合唱団や2人のソリストが加わった大規模な編成のため、客席の前方6列までがステージとなっていました。


私の席は7列のほぼ中央でしたので、まさかの指揮者の目の前でした。

これは結構、緊張しました。(眠くなってしまったら、どうしよう)


この席では、指揮者が出す指示や合図、そして唸り声などが目前で繰り広げられました。

ヴァイオリン、ビオラ、チェロといった弦楽器奏者が演奏する様子は手に取るようにわかりましたが、それ以外の奏者の姿はほとんど見えませんでした。



開演40分前に、ステージ上で、指揮者のケンショウ・ワタナベさんのプレ・コンサート・トークがありました。


ケンショウさんは横浜市生まれ。日本人の両親のもとに生まれ、5歳ごろ父親の仕事の関係でアメリカへ移りました。つまり、横浜生まれ、アメリカ育ちの日系アメリカ人指揮者です。現在はパリを拠点に国際的に活動しています。


プレ・コンサート・トークでは、最初は日本語で挨拶しましたが、その後は通訳を介して英語でお話されました。ケンショウさんは、今回が「高崎デビュー」とおっしゃっていましたが、9月初めには群馬県内(高崎市→桐生市→太田市→沼田市)を回って「高校生のための音楽教室」で群響を指揮してきたそうです。ソースカツが美味しかった、というお話には会場から拍手が起こりました。群馬交響楽団 大人も音楽教室 群響高校音楽教室~一般公開~(9月2日) - 群馬交響楽団群馬交響楽団


ところで、ケンショウさんのプロフィールには、「イェール大学で分子生物学、細胞生物学、発生生物学を学び、理学学士を取得している。」とありました。調べてみると、ケンショウさんは「研究者としての科学者」を目指していたというより、医師になることを考えていたようです。彼は医学から音楽へと転向:指揮者渡辺健章がキャリアを再編成した |WRTI


そして、医学部の出願書類を書いていたとき、医師になりたい理由を書く中で、自分の音楽経験が医師としての仕事にどう生きるかを考えていたところ、逆に「自分が本当に情熱を注ぎたいのは音楽なのだ」と気づいた、と語っています。


大学卒業後の夏から指揮を学び、その後、カーティス音楽院で本格的に指揮を学ぶ道へ進みました。さらに2013年、カーティス音楽院に新設された指揮フェローシップ(将来有望な若手を選抜して育成する特別研修制度)の第1期フェローに選ばれ、フィラデルフィア管弦楽団音楽監督ヤニク・ネゼ=セガンのもとで実践的に指揮を学んだそうです。


ケンショウさんがどれほど期待された若手だったのかがわかりますね。



さて、マーラーの交響曲第2番「復活」は、5つの楽章からなる約80分の大作です。

死や人生への問いから始まり、さまざまな回想や葛藤を経て、最後は独唱と大合唱が加わり、「死を超えて再びよみがえる」という壮大な世界へと到達します。


大編成のオーケストラと合唱が生み出す圧倒的な音響から、マーラーを代表する交響曲の一つです。日本でも劇場やオーケストラなどの新たな門出を祝する音楽として演奏されることがあります。


2020年2月、創立75周年を迎えた群馬交響楽団の第555回定期演奏会で「復活」を演奏するはずでしたが、急遽、コロナ禍で中止になりました。今回の演奏は、失われた「復活」の満を持しての「復活」でもありました。


マーラーの交響曲第2番《復活》は、まず「死」から始まり、人生を振り返り、最後に「復活」へ至るという大きな流れがあります。


第1楽章

重々しく劇的な楽章で、死と葛藤「葬送」の音楽です。曲全体の出発点となる「死」のイメージとして、曲の冒頭から凄まじい低音が鳴り響きます。昔はレコードのオーディオチェックにもよく使われていました。目前のチェロの激しい動きに、いきなり揺さぶられました。


第2楽章

一転して、優雅で穏やかな音楽になります。過ぎ去った幸福な日々を振り返るような、懐かしく温かな雰囲気があります。


第3楽章

マーラー自身の歌曲《魚に説教するパドヴァの聖アントニウス》をもとにしており、人生の空しさや、同じことを繰り返す人間社会への風刺のような響きも感じられます。やや皮肉で不安定な楽章ですが、マーラーらしさを感じる場面でもありました。


第4楽章「原光(Urlicht)」

アルト独唱が登場し、雰囲気ががらっと変わりました。最初、どこで歌っているのだろうと声のする方を探しました。コントラバス奏者の後に、やっとその姿を見つけました。「私は神のもとへ帰りたい」という祈りのような内容です。ソリストの深みのある朗々と響く歌声に圧倒されました。


第5楽章

30分以上に及ぶ巨大な終楽章です。激しい音響、舞台外の金管、鐘、そしてソプラノ・アルト独唱と大合唱が加わりました。


私はソプラノ独唱の「信ぜよ おまえは甲斐なく 生まれたのではない 甲斐なく苦しんだのではない」という部分に癒されました。

あなたの人生も、苦しみも、決して無意味ではなかった」という意味です。


「復活」とは、単に肉体がよみがえるという宗教的な意味だけではありません。

マーラーは、人はなぜ生きるのか、なぜ苦しまなければならないのか、死んだらすべて無になるのかという問いに対して、最後に「いや、人生には意味がある」と答えようとしています。


生まれたことにも意味がある。

苦しんだことにも意味がある。

そして死によって、すべてが無に帰すわけではない。


最後は「よみがえれ、そう、よみがえるのだ」という復活のメッセージへ到達します。静寂から始まった合唱が次第に巨大な響きへ広がっていき、終結を迎えます。この曲最大の聴きどころです。


二人のソリストと合唱団は、本当に圧巻でした。オーケストラや合唱団が奏でる空気の振動もダイレクトに伝わってきました。


ケンショウさんの指揮は、徹底的に考え抜かれた、全く無駄のない自然な動きで、緻密に曲を構築していました。それは、スポーツ選手の体の動きを見るようでした。熱く、それでいて冷静。生物学を学んだ人らしい分析的な思考も、演奏の組み立てに生きているように感じました。それに軽々と応えていた群響も凄いと思いました。


ケンショウさんが、プレ・コンサート・トークの中で言っていたことを思い出しました。


「この曲はマーラーが若い頃(34歳)、死や来世について書かれたものですが、自分も同じ世代(39歳)として共感しています。現在、戦争や悲しみ、複雑な思いを抱える世の中で、言葉や文化の違いを超えて、一つのことを成し遂げることで、私たちは一つになれる。それが「復活」を演奏する意味なのかもしれない。」


人は無意味に生まれ、無意味に苦しむのではない――人生そのものを肯定する、マーラー《復活》に、勇気づけられました。

 
 
 

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