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​身近な風景

馬にまつわる物語⑲

執筆者の写真: tokyosalamander
tokyosalamander
7 時間前
読了時間: 3分

2026年11月1日(日)、今日はJR新宿駅から徒歩25分、新宿御苑の東側に位置する「多武峯内藤神社(とうのみねないとうじんじゃ)」を参拝しました。ここには、現在の新宿の市街地や緑豊かな新宿御苑の誕生につながる伝説を残した一頭の駿馬(しゅんめ)が、祀られています。


「多武峯内藤神社」は、JR新宿駅から約1.8キロ、徒歩25分の距離にあります。


「多武峯内藤神社」を目指して、新宿御苑の北側に沿った遊歩道を歩いていきました。

遊歩道には、ツワブキが至る所で黄色い花を付けていました。


住宅地の一角に「多武峯神社」がありました。

まずは、「多武峯内藤神社(とうのみねないとうじんじゃ)」を参拝しました。

この神社は、この地を所領としていた内藤清成(ないとうきよなり)が江戸時代初期に創建したと伝わる内藤家の屋敷神です。


「多武峯(とうのみね)」は、奈良県桜井市にある山の名前に由来し、その地では藤原鎌足が祀られています。内藤家は藤原鎌足を祖先とする家系と伝えられ、その鎌足を祀ることから「多武峯内藤神社」という名前になったそうです。


この神社の一角に内藤清成の愛馬と伝わる駿馬の像が祀られていました。

この駿馬(しゅんめ)には次のような伝説があります。


「徳川家康の江戸入り後、三河以来の譜代家臣であった内藤清成は、鷹狩のお供をした折に、家康から馬でひと息に回れるだけの土地を与えるとの命を受けた。清成は駿馬にまたがり、南は千駄ヶ谷、北は大久保、西は代々木、東は四谷をひと息に駆け、広大な四谷屋敷の地を拝領した。しかし、この駿馬はそのまま息絶えてしまい、樫の木の下に埋められたという。」(以上、新宿区教育委員会「駿馬塚の碑」より抜粋)


この物語は「駿馬伝説」と呼ばれていますが、実際に家康がそのような命令を下したことや、白馬が息絶えたことを裏づける同時代の史料は確認されていません。


一方、文化13年(1816)8月に、内藤家の家臣らによって駿馬の功績をまつるため、樫の古木の跡に駿馬塚を築き碑を建てました。


天保11年(1840)成立の『御下屋敷諸説紀聞』にも駿馬伝説が収められ、江戸時代後期の屋敷図には駿馬塚の位置も描かれています。☆常設展解説シート⑲


駿馬塚の碑はその後、明治5年(1872)9月に屋敷地が明治政府の所管となったことから、現在地に移されました。


その「駿馬塚の碑」を見ることができました。


駿馬の物語そのものは伝説とされていますが、その伝説が江戸時代に語り継がれ、碑として記念されてきたことは確かです。


現在の新宿御苑のルーツは、江戸時代に徳川家康から内藤清成に与えられた広大な屋敷地にあります。明治時代に入ると、その土地は農業試験場となり、やがて皇室庭園として整備され、戦後は国民公園(新宿御苑)として一般公開されました。


もし内藤家の屋敷地が存在しなかったら、東京の中心部に、これほど広大な緑地が残されることはなかったかもしれません。

今日は好天に恵まれ、多くの家族連れや観光客で賑わっていました。


また、新宿御苑の近くには、このような石碑が建っていました。

この石碑は、内藤新宿の開設300周年を記念して、1998年(平成10年)11月に新宿区が建立したものです。


つまり、内藤家の屋敷地を起点として、一方には宿場町から発展した新宿の市街地が、もう一方には緑豊かな新宿御苑が生まれました。


この関係をチャッピーに図表にしてもらいました。


一頭の白馬が駆け巡ったという伝説の土地が、400年以上の時を経て、今では多くの人々が集まる新宿の繁華街、そして自然を楽しむ庭園(新宿御苑)となっています。


新宿の中心部に残された駿馬塚の石碑は、この土地の歴史と、かつて人々が大切に語り継いだ一頭の白馬の物語を今に伝えています。



今回は、新宿の成り立ちにかかわる「馬にまつわる物語」を紹介しました。

 
 
 

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