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​身近な風景

吉田さんのインド紀行②

執筆者の写真: tokyosalamander
tokyosalamander
18 時間前
読了時間: 9分

更新日:2 分前

2026年10月28日(水)、吉田さんのインド紀行②~仏教遺跡編~をお届けします。

(左側)アショーカの獅子柱頭(紀元前250年頃)

(右側)初転法輪像(5世紀)



さて、観光初日、バラナシに着いた後、まず始めに仏教の聖地サルナートを見学しました。この地は、鹿野苑:ろくやおん(鹿が多く住む林)とも言われています。


ここは、紀元前5世紀、悟りを開いた仏陀が人生で初めて人々に説法(初転法輪)を行った場所として仏教の四大聖地の一つに数えられています。


発掘されたサルナート遺跡


かつては「無数の金色・赤色の建物が立ち並び、千数百人の僧侶の読経が響き渡っていた巨大な仏教大寺院」でした。


サルナートは、紀元前5世紀頃から12世紀末頃まで、およそ1700年間にわたって仏教の重要な聖地であり続けました。


ところで、インドの宗教別人口の割合は、

ヒンドゥー教:約80%

イスラム教:約14%、

仏教:約0.5%


インドは仏教発祥の地なのに、なぜ仏教徒が少ないのでしょうか?


実は、8世紀以降ヒンドゥー教が民衆の間で主流となり、仏教は徐々にヒンドゥー教に取り込まれていきました。さらに、12世紀にはイスラームの侵攻に遭い、仏教の寺院や仏塔は徹底的に破壊されてしまいました。


そのようにして荒廃し埋もれてしまったサルナートですが、19世紀(イギリス統治時代)に入り、イギリスの考古学者らの調査・発掘作業によって再び光が当てられました。その時に発掘された貴重な彫刻や遺跡が、「サルナート考古学博物館」に展示されています。


巨大なダメーク・ストゥーパ(直径約28メートル、高さ約43.6メートル)は、釈迦が初めて説法を行ったと伝えられる聖地に建っています。現在の建物は5~6世紀頃に再建されたもので、約2500年前の仏教の歴史を今に伝えています。



ここで、インドの歴史の中での宗教の変遷をチャッピーにまとめてもらいました。

インドで仏教が誕生し、アジア各地に広がり繁栄しましたが、インドではやがて衰退しました。


この時系列に沿って、吉田さんが出会った仏教遺跡の数々を見ていくことにしましょう。



❸アショーカ王と仏教のひろがり(紀元前3世紀)


→アショーカ王(マウリヤ朝)は、紀元前3世紀にインドの広大な地域を統治し、仏教の発展と普及に大きな役割を果たした王です。


やがて仏教徒となり、仏教への信仰を深め、武力による征服よりも、ダルマ(法・道徳)によって人々を導くことを重視するようになりました。


王の碑文には、次のような理念が掲げられています。

  • 生き物をむやみに殺さないこと

  • 両親や年長者を敬うこと

  • 他の宗教や信仰を尊重すること

  • 人々の幸福を大切にすること

  • 武力よりも道徳的な行動を重視すること

このような理念を広めるため、王は各地に石柱や岩石碑文を残しました。


アショーカ王の獅子柱(インド・ヴァイシャーリー)


インドのビハール州ヴァイシャーリー近郊には、「アショーカ王の獅子柱」がほぼ完全な姿で現地に残っています。

Photo: Amitabha Gupta / Wikimedia Commons / CC BY 4.0




アショーカ王は、釈迦が初めて説法を行ったと伝えられる聖地にも石柱を建立し、釈迦の教えと自らの統治理念を象徴的に示しました。

それが「アショーカの獅子柱頭」(紀元前250年頃)です。


獅子柱頭には、4頭のライオンの下の台座に4個の法輪が刻まれています。本来は4頭の獅子の上に大法輪(ダルマチャクラ)が掲げられていました。それを復元したものが獅子柱頭の右側に見える金色に輝く大きな法輪です。頂上の大法輪は、釈迦がサルナートで初めて説法した「初転法輪」を象徴し、台座の4個の法輪は、その教えが四方へ広がることを表現していると考えられます。


法輪(ダルマチャクラ Dharma Chakra)とは、サンスクリット語で「法の輪」を意味し、仏陀(釈迦)の教えを象徴する車輪のことです。


ダルマ(Dharma/法):真理、道理、仏陀の教え。

チャクラ(Chakra/輪):車輪、円盤、回転するもの。

つまり、ダルマチャクラは「真理の車輪」という意味になります。


車輪が回転して前へ進むように、仏陀の教えが人々に伝わり、広がっていくことを表しています。


釈迦は悟りを開いた後、サルナートの鹿野苑(ろくやおん)で5人の修行者に初めて教えを説いたと伝えられています。これを「初転法輪(しょてんぼうりん)」といいます。


「初めて法の輪を回した」という意味です。



獅子柱頭は、もともと高さ10メートルを超える石柱の頂上に取り付けられていました。

アショーカ王の石柱の推定復元図
アショーカ王の石柱の推定復元図

頂上の大法輪、4頭の獅子、動物と法輪を刻んだ台座、蓮華形の柱頭基部、石柱全体の構成を示す。

制作:Chrisi1964、पाटलिपुत्र、Sachin Kumar Tiwary(各素材の作者・編集者)

ライセンス:CC BY-SA 4.0



獅子柱頭を支えていた本体の柱の破片も現存しています。風化が進まないようにガラスで覆われています。

獅子柱頭を支えていた本体の柱の破片も残っています。風化が進まないようにガラスで覆われています。



現在のインドのすべての紙幣にガンジーの肖像とともにこの「アショーカの獅子柱頭」が印刷されています。


1947年、インドはサルナートのアショーカ王の獅子柱頭に刻まれた法輪を国旗の中央に採用しました。この24本の輻を持つ車輪は、現在『アショーカ・チャクラ(法輪)』と呼ばれています。広大なインドを統治し、ダルマ(法)を重視したアショーカ王の象徴です。



アショーカ王は単なる仏教の保護者ではなく、異なる宗教を尊重し、道徳的な統治を目指しました。現在のインドは、ヒンドゥー教徒が多数を占めながら、イスラーム教、キリスト教、シク教、仏教など、さまざまな宗教が共存する国です。その国家的な象徴に、古代のアショーカ王の獅子柱頭と法輪が選ばれたことには、歴史的な意味があります。




❹クプタ朝と仏教美術の繁栄(4~6世紀)


「クプタ朝」は、紀元320年頃から6世紀半ばまで、インド北部を中心に栄えた王朝です。


この時代はインド古典文化の黄金期とも呼ばれ、文学、数学、天文学、彫刻、絵画などが大きく発展しました。仏の姿そのものを理想的な美しさで表現する仏教美術が成熟し、後の中国や日本の仏像にもつながる重要な発展を遂げています。

初転法輪像(5世紀)

釈迦が悟りを開いた後、サルナートで初めて人々に教えを説いた姿を表した仏像です。胸の前で結んだ手は、教えを説くことを意味しています。足元には法輪と鹿が彫られており、初めて説法を行った場所が「鹿野苑」と呼ばれていたことを物語っています。

穏やかな表情が印象的で、約1500年前の作品とは思えないほど、優美で洗練された仏像です。(サルナート考古博物館所蔵)


釈迦の生涯を描いた浮彫(6世紀)

釈迦の生涯の重要な場面を、一枚の石板に彫り込んだ作品です。上部には釈迦が亡くなり、涅槃に入る「入滅」の場面が描かれています。その下には、説法する釈迦の姿など、さまざまな場面が細かく表現されています。

(砂岩製/サルナート考古博物館所蔵)




➎仏教の繁栄と衰退(7~12世紀)


この時代、ナーランダー僧院などが仏教研究の中心として栄え、インド国内だけでなく、中国やチベットなどからも多くの僧侶が訪れました。また、密教が発展し、仏教美術も豊かになりました。


一方、インド国内ではヒンドゥー教の勢力が強まり、仏教は次第に衰退していきます。12世紀末からはイスラーム系勢力の侵攻によって主要な僧院が大きな被害を受け、仏教は発祥の地インドでさらに勢力を失っていきました。インド国内では衰退する一方、仏教がアジア各地へ受け継がれていった時代でもありました。


(左側)仏教の女神「ターラー菩薩像」(11~12世紀頃)

(右側)シヴァ神による悪魔退治(12世紀)


この時代のインドでは、仏教とヒンドゥー教の美術がともに発展しました。


右側は、10本の腕を持つシヴァ神が悪魔を退治する場面を表したヒンドゥー教の彫刻です。力強く躍動感あふれる姿が印象的です。


左側は、仏教で人々を苦しみから救うとされるターラー菩薩像です。穏やかな表情と優美な立ち姿が特徴です。


仏教が次第に衰退へと向かう一方で、ヒンドゥー教の信仰が広がっていった時代。2つの彫刻からは、当時のインドの豊かな宗教文化を感じることができます。



➏イスラム諸王朝とイギリスの支配

→イスラム諸王朝については、インド紀行③で紹介します。




➐独立と新しいインド


ムーラガンダ・クティ寺院 ― 近代インドの仏教復興

釈迦が初めて教えを説いた聖地サルナートに、1931年に建立された寺院です。長い間衰退していたインド仏教を復興させようと、スリランカ出身のダルマパーラらによって建てられました。入口には日本から寄贈された大きな鐘が吊るされています。


お堂の内壁には、野生司香雪(のす・こうせつ)画伯による仏陀の誕生から入滅(涅槃)までの生涯(仏伝図)が美しく鮮やかに描かれています。


1947年のインド独立に先立って建てられたこの寺院は、仏教発祥の地で、再び仏教文化が息を吹き返していく様子を象徴しています。


参道にはココナッツ店やサトウキビジュースのお店など様々なお店が並んでいました。



ドゥルガー・クンド寺院 ― 今も息づくヒンドゥー教の信仰

ヴァラナシにある、18世紀に建てられたヒンドゥー教の寺院です。

入り口の両脇に女神ドゥルガーの像と彼女が乗る黄金のライオンの像が据えられています。


ここはヒンドゥー教徒以外入れませんでした。寺院のすぐ脇にはドゥルガー・クンド(池)と呼ばれる聖なる池があり、信者はここで沐浴をしてからお参りをするそうです。

明日からお祭りということで、入り口には多くの花や飾り物が売られていました。




バーラト・マーター寺院 ― 独立への願いを込めて

1936年に建立されたバーラト・マータ(母なるインド)寺院です。

一般的な寺院とは異なり、内部には神像ではなく、大理石でつくられた巨大なインドの立体地図があります。祖国を「母なるインド」として大切にする思いが込められており、独立への願いと国民意識の高まりを象徴する建物です。

イギリスからの独立運動たけなわであった1936年に、民族主義者らによって建立されました。当時、宗教やカーストの対立を超えて人々の心を一つにし、インド全体の団結と独立への意識を高めるための象徴として奉納され、落成式には、非暴力・独立運動の指導者であるマハトマ・ガンジーも立ち会ったそうです。



長々とお付き合いいただきありがとうございました。ここまでが、観光初日(旅行2日目)です。


バラナシのホテルでは、歓迎としてハワイのレイのように菩提樹の実でつくった数珠を首に掛けていただき、額に赤いティラクを付けてくれました。

菩提樹といえば、釈迦がその木の下で悟りを開いたことで知られています。一方、ティラクはヒンドゥー教などで祈りや祝福の際に額に付けられる印です。


仏教発祥の地を訪ね、数々の仏教遺跡を巡った一日でしたが、最後には、古代から受け継がれてきたインドの祈りの文化を自ら体験することができました。



この後、インド紀行①で紹介したガンジス川の夕べの祈りに繋がります。


私の興味関心の強い部分だったので、この1日だけでかなりのボリュームになってしまいました。


観光編の続きは、インド紀行③で紹介します。





 
 
 

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