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​身近な風景

ウズベキスタン紀行(後編)

  • 執筆者の写真: tokyosalamander
    tokyosalamander
  • 1 日前
  • 読了時間: 5分

更新日:9 時間前

2026年3月8日(日)、吉田さんのウズベキスタン紀行(後編)をお届けします。後編は、世界遺産サマルカンド観光(2日目)です。

なお、帰途のタシケント観光、そしてウズベキスタンの(食)文化については、吉田さんからいただいた写真やスクリプトが膨大であったため、ウズベキスタン紀行(終章)として紹介することにしました。


それでは、世界遺産サマルカンド観光(2日目)をお楽しみください。


①ウルグ・ベク天文台

ウルグ・ベクと聞いて、どこかで聞いたことがあると思ったあなた、観察力抜群です。1日目で訪れたレギスタン広場で、最も古い「ウルグ・ベクのメドレセ」(下の写真、左側)を建てたティムール帝国の帝王です。

ウルグ・ベグは、軍事よりも天文学など学問に興味を持っており、祖父のティムールに天文台建設を懇願したものの断られましたが、自分が国王になった後に、この天文台を建設し、1428年頃完成しました。


当時は高さ30mの3階建てのドームがあったようですが、今はその円形の基部と地下に掘られた「六分儀」だけが発掘され、黒い屋根に覆われるように残っています。

ウルグ・ベク天文台の模型


ところで、「六分儀」とは何なのでしょうか?

六分儀という名前の由来は「円の6分の1(60°)」の形をした測定器からきています。半径 約40m もある巨大な円弧型の石の装置で、当時としては世界最高レベルの精度で星の位置を測定することができました。(残念ながら、具体的にどのように測定したのか、まではわかりませんでした。)


天文台には、巨大な六分儀(セクスタント)の他、星や太陽の位置を測る道具( アストロラーベ)、星座や星の位置を球体に表した天球儀などがあり、ここでの観測によって、ウルグ・ベグと学者たちは、有名な星表 「ジージュ・イ・スルターニー」 をコンスタンチノープルで出版しました。


そこには、1018個の恒星の正確な位置、太陽や惑星運動の計算式、暦法・時間計算・地理的緯度表などが記されており、天文学実用のための総合データブックとして、世界的に有名になりました。例えば、1年を365日6時間10分8秒と算出しましたが、現在の計算との誤差は1分でしかないそうです。


現在は、発掘された地下部分の「六分儀」の入り口に入り、上部から眺めることができます。


ウルグ・ベグは、その名声とは裏腹に、周囲の国から侵略されティムール帝国は多くの領土を奪われたほか、親イスラームの聖職者層(ブハラ派)から神への冒涜との反発を買いました。その結果、1449年に自身の息子アブドゥル=ラティフによって暗殺され、天文台も破壊されたそうです。


その後、ラティフも暗殺され、1507年にティムール朝は消滅してしまいました。


ウルグ・ペク天文台は、ティムール朝の栄華の象徴であったと同時に、終わりの始まりでもあったのです。



②アフラシャブの丘


サマルカンドは、人々が集まる町(Samarya:人々が集まる場所+kand:町)を意味する言葉に由来しており、古くから東西文明の交差路として発展していました。西のイスタンブールまで4000km,東の西安まで4000kmと、シルクロードのちょうど中間地点です。

シルクロードには、30kmごとに休憩地キャラバンサライ(商人や旅人のための宿泊施設)があったそうです。サマルカンドのキャラバンサライがあったのが、このアフラシャブの丘で、かつてのサマルカンド市街でした。しかし、1220年にチンギス・ハーン率いるモンゴル軍によって完全に破壊され征服されました。

その後、荒地となり歴史からも消え去っていましたが、道路工事の際、遺跡が出土し、1958年から発掘調査が始まりました。しかし資金不足から遅々として進んでいないとのことです。

あちこちに土器の破片が散乱していました。欲しかったのですが、世界遺産の重要遺跡であり、空港のセキュリティで見つかると逮捕されるということで諦めました。😅

(→誘惑に打ち勝つことができて、良かったですね)



③シャービズィンダ廟群


シャーヒズィンダ廟群は、「天国の階段」を登った小高い丘の上、細い路地沿いに11〜19世紀の霊廟が複数並んでいます。普通のお墓より大きくて立派な建物を霊廟と呼んでいます。


ここは「死者の通り」とも呼ばれますが、まさに「サマルカンドブルー」の最高傑作の青い街でした。かつては40以上の霊廟がありましたが、現存するのは14だけです。

このシャーヒズィンダ廟群はイスラムの聖地ともなっており、女性は髪を隠すよう言われました。

最も美しいと言われているのがシャーディムルク・アカ廟。シャーディムルク・アカは、ティムールに愛された姪だそうです。

ティムールの妹にあたる、シリンベク・アカを祀った廟は、サンドベージュとブルーのコントラストが絶妙な廟です。その他も説明を受けましたが、もはやどれがどれやら😅

どうぞ写真をお楽しみください。



④サマルカンドの夜


夕食後、ホテル前の大通り公園を一人散歩に行きました。夕焼けがとても綺麗でした。


1km先にはティムールの坐像がありました。

通り沿いには複数の大学が並んでおり、夜8:30でしたが、授業終わりの学生が次々と出てきました。また、周辺にはケンタッキーやピザやハンバーガーなどのファスト料理店が多くありました。


最後の写真右がホテルです。サマルカンドは、とても安全で快適な町でした。


以上、ウズベキスタン紀行(後編)として、世界遺産サマルカンド観光(2日目)を紹介しました。


今回の旅の目的である世界遺産サマルカンド観光を終え、翌朝には、首都タシケントに向けた帰途の旅(バス)が始まります。前編・後編とシルクロードの時代から続くサマルカンドの栄枯盛衰を見てきましたが、終章では、現在のウズベキスタンに暮らす人々の生活に焦点を当てて紹介します。


ウズベキスタン紀行(終章)もご期待ください。


 
 
 

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