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​身近な風景

塩原の紅葉

  • 執筆者の写真: tokyosalamander
    tokyosalamander
  • 2 時間前
  • 読了時間: 2分

2025年11月14日(金)、かわまたさんから、11月8日の塩原の紅葉情報をいただきました。「紅の吊橋」(くれないのつりばし)は、文字通り、モミジの紅葉で紅(くれない)に染まっていました。

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「紅の吊橋」は、塩原温泉の中心地に位置する「 塩原もの語り館(ものがたりかん) 」の裏手を流れる箒川に、2003年に掛けられた吊橋です。全長が525mもあります。


箒川沿いのモミジが、赤く燃え上がるように染まることからこの名がつけられました。

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「塩原もの語り館」は、塩原温泉の歴史がわかる資料展示室を始め、売店、レストラン、直売所等からなる複合施設で、塩原温泉観光協会が運営しています。「紅の吊橋」はこの施設のテラスの裏手にあります。塩原もの語り館


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→ちょうど見頃の時期でしたね。さすが、塩原を代表する紅葉の名所です。



↓こちらは、塩原温泉郷の入り口付近にある「天皇の間記念公園」(てんのうのまきねんこうえん)です。その名の通り、大正天皇・昭和天皇といったかつての天皇ゆかりのスポットで、紅葉の名所として人気があります。

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「天皇の間記念公園」(てんのうのまきねんこうえん)は、かつて存在した皇室の別荘『塩原御用邸』の建築の一部(天皇御座所)を移築・保存している公園です。


塩原には、かつて皇室の別荘「塩原御用邸」がありました。もともとは、栃木県令・三島通庸が1884年(明治17年)にこの地に造営した別荘でしたが、皇太子時代の大正天皇が気に入られたことから、三島家が別荘を献上され御用邸へと改められました。


以来、大正天皇、昭和天皇をはじめとする皇室の避暑地として利用されました。戦後、塩原御用邸は廃止され、厚生省の「国立塩原光明寮」〜「国立塩原視力センター」として活用されますが、徐々に取り壊しになり、最後まで残った「新御座所」通称「天皇の間」のみ、地元住民の要望に応える形で塩原町が取得し、1981年(昭和56年)に旧御用邸から約500m離れた現在地へと移築され、公園としての公開が始まったということでした。


(以上の内容は、以下のサイトを参考にしました。)


かわまたさん、素敵な紅葉情報ありがとうございました!


ちょうど、11月14日(金)付けの下野新聞でも紹介されていました。


 
 
 

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