蛇にまつわる人々⑪
- tokyosalamander
- 9月25日
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2025年9月15日(敬老の日)、群馬県太田市薮塚にある「ジャパン・スネークセンター」を訪ねました。その日は「ハ虫類ふれあい体験教室」が開催されていました。講師は、今回の主人公、吉村憲(よしむら・けん)さんです。

2024年12月に発行されたジャパン・スネークセンター著「ヘビ学」(小学館新書)によると、著者のお一人である吉村さんの経歴について
「前職は看護師。JICA(国際協力機構)のボランティアとしてバングラディシュで活動した際、現地でヘビ咬傷の被害を知り、2019年より長崎大学で熱帯医学・公衆衛生学を学ぶ、その後、毒ヘビ咬傷・ヘビ毒を学ぶため、蛇研に入所。‥」と紹介されています。
私が知る限り、前職が看護師というのは、かなり異色です。そこで、吉村さんの経歴に潜む謎にスポットライトを当てることにしました。
序章:夢は海外へ
人が看護師という職業を目指す場合、入院した際にお世話になった看護師への憧れや、人の命を救うお手伝いをしたいといった崇高な思いが動機となることがよくあります。しかし、吉村さんの場合は、少し違っていたようです。
定時制学校で学び、准看護師から始まる長い下積み生活があったことは事実ですが、看護師としての道を究めることが目標ではありませんでした。とにかく「海外に出たい」という変わらぬ思いがその生活を支えていました。JICAの海外協力隊(ボランティア)として、海外に派遣されることが当面の目標でした。そのため、看護師としての実務経験を積み、語学等のスキルを身に着けるなど、8年間の準備期間を要しました。
その間、信念が揺らぐことはなかったそうです。両親からもらった「憲(けん)」という名前には、将来、海外で活躍するようになった時に、呼んでもらいやすいようにとの思いが込められていたとお聞きしました。その夢はご両親譲りだったのかもしれません。
2012年、その夢がかない、看護師として、バングラディシュへの長期派遣(2年間)が決まりました。しかし、この時はまだ、ヘビの姿はまだ尻尾すら見えていませんでした。

第1章:「ヘビ使い」
JICA海外協力隊(ボランティア)では、派遣される国が自分の希望通りにいかないこともあります。派遣国がバングラディシュであったことが、吉村さんの人生を大きく変えることになりました。看護師としての派遣先は、バングラディシュの都市部から、河川を船で遡ること5時間の田舎町でした。ポリオなどの予防接種の啓発など、公衆衛生を普及させることが吉村さんのミッションでした。
ここで、吉村さんにとって、その後の人生を決める運命の出会いがありました。「ヘビ使い一座」との出会いです。バングラディシュでは、「ヘビ使い」を生業としている人たちが、全国に約100万人いました。



<ヘビ使いのショーをしている人たちとヘビ(コブラが多い):吉村さん提供。以下同じ>
日本でもかつては旅芸人の一座が全国を放浪していたことがありましたが、バングラディシュでは、今もテント小屋で生活し、見世物をする数十人規模の「ヘビ使い」一座が、そこら中にいるのです。一つの集落での見世物が終わると、いつの間にかいなくなっている、それがバングラディシュの田舎町のありふれた風景でした。

<ヘビ使いの人たちと吉村さん>
そこで、吉村さんは驚愕の事実を知ることになりました。バングラディシュでは、熱帯病や感染症などで命を落とす人も多くみられましたが、同様に多くの人々が毒ヘビの咬傷被害で亡くなっていたのです。とりわけ、「ヘビ使い」も咬傷被害に遭うケースが多くみられました。
ちなみに、WHO(世界保健機関)の推計によると、世界中で毒蛇咬傷事例が年間約180万~270万件が報告されており、そのうち10万人前後が死亡しています。1日あたりに換算すると、毎日約4900~7400人が毒ヘビに咬まれ、そのうち300人前後が死亡していることになります。(ジャパン・スネークセンター著「ヘビ学」より)

<ヘビ使いの子どもたちと吉村さん>

<ヘビ使いの人たちに啓蒙活動をしている吉村さん>
わずか2年間の滞在でしたが、吉村さんは毒ヘビの呪縛に取り憑かれたかのように、毒ヘビに関わる人生を選択することになりました。
第2章:毒ヘビ研究者への道
吉村さんは、帰国後、毒ヘビの咬傷を含めた熱帯医学被害について大学で専門的に学びたいという欲求に囚われました。それを学ぶことができる唯一の場所が、長崎大学熱帯医学研究所でした。しかし、修士課程に合格するまで4年の年月がかかりました。

看護師の仕事を続けながらの受験でしたが、3度不合格となっても、その意志は変わることはありませんでした。2018年の秋に入学し、毒ヘビ研究者としてのキャリアがスタートしました。しかし、入学してから分かることになるのですが、長崎大学熱帯医学研究所は、熱帯の寄生虫や感染症などの研究が中心で、毒ヘビの咬傷被害を専門にしている研究者はほとんどいませんでした。
そこで、再びバングラディシュに渡り、現地で8か月、ヘビ使いの一座と行動を共にしました。JICA海外協力隊の2年間で身に着けたベンガル語を使い、ヘビに咬まれたヘビ使いたちに、聞き取り調査を実施しました。その数、数百人。
その調査結果をもとに、2020年秋、「バングラディシュのヘビ使いの人たちがヘビに咬まれた時の行動」に関する修士論文が完成しました。バングラディシュにはイスラム教徒に次いでヒンドゥー教徒も見られ、ヘビが神格化されていることもあり、中にはヘビに咬まれることを誇りに思う気風の人たちもおり、医療機関の診察を受けるケースは多くありませんでした。吉村さんの研究によって、それらヘビ使いの実態に初めて光が当たりました。
第3章:ヘビ研の一員に
長崎大学熱帯医学研究所の修士課程を卒業した2020年10月、吉村さんの卒業を待っていたかのように、一般財団法人「日本蛇族学術研究所」(通称:ヘビ研)の研究員の公募がありました。たまたま、研究員の欠員が生じたためですが、本格的にヘビ毒の研究を続けたい吉村さんにとって、まさに天啓でした。コロナ禍の中、オンライン試験が行われ、吉村さんの採用が決まりました。この時から、ヘビ研の研究員(4名)の一員となり、ついに本職として、ヘビ毒の研究が再スタートしました。

<JAPAN SNAKE CENTER(「ヘビ研」が運営するヘビ専門の動物園・研究施設)>
ヘビ研では、ヘビ毒の血清を作るため、ヘビ毒の採取が定期的に行われています。日本でマムシに咬まれる人は年間約3000人、ハブに咬まれる人は年間約100人であるのに対して、毒蛇であるヤマカガシに咬まれて中毒となる人は年間一人か二人程度です。しかし、世界に目を向けると、ヤマカガシの近縁種34種のうち、東南アジアや南アジアに生息する5,6種が人に咬傷被害を与えており、多くの方が亡くなっています。ヤマカガシの近縁種の毒に対する血清がないことが、その大きな要因となっています。
第4章:ヘビ毒研究の現在
吉村さんは、東南アジア・南アジアに生息しているヤマカガシの近縁種の毒成分を調べ、日本産ヤマカガシ毒の血清が、それらヤマカガシの近縁種の毒にも効果があるかどうかを研究しています。しかし、ヘビ研でできることには限界があります。
そこで、より専門的にこの研究を進めるため、2024年秋、長崎大学熱帯医学研究所の博士課程(長崎大学大学院熱帯医学・グローバルヘルス研究科博士後期課程)に、現職のまま、入学しました。今度は1度の受験で合格しました。東京にサテライトキャンパスがあるので、長崎まで行かなくても研究を続けることができるそうです。実験などは、国立感染症研究所の施設でも行っています。
現在、ヤマカガシの近縁種が生息しているタイ、インドネシア、ベトナム、ネパール、バングラディシュ、スリランカ等の現地研究者のネットワークを生かして、ヤマカガシ近縁種のヘビ毒を送ってもらい、その毒の成分分析や既存のヤマカガシ血清の中和効果があるかどうかを研究するプロジェクトに参加しています。こちらは、まだ緒に就いたばかりのようです。

<各国のヘビ毒研究の共同研究者たち>

<ヤマカガシの近縁種から採毒している様子>
終章:そして未来へ
ヘビの世界に完全に引き込まれた吉村さん。いくつかの偶然の積み重ねで、今の吉村さんがいるわけですが、お話を聞いた限りでは、運命の糸の力を感じずにはいられませんでした。吉村さんにとって、ヘビ研の研究員は、才能やセンスが最大限発揮できる職業、ようやくたどり着いた天職と感じました。
最後に、吉村さんが10年後に何をされているか、あるいは何をしたいか、を聞いてみました。すると、「ヘビのことをもっと知ってもらえるようなことをやってみたいですね。」というストレートな答えが返ってきました。
この日行われていた「ハ虫類ふれあい体験教室」には、50人近い人たちでほぼ満席でした。ヘビ好きなお客さんやお子さんたちと触れ合う吉村さんは、本当に楽しそうでした。


吉村さんは、2024年から鹿児島徳之島の小学校で「徳之島の毒蛇ハブについて学ぼう」という授業を行っています。そこでは、毒蛇を恐れたりするだけでなく、ヘビについて正しく知ってもらうことを大切にしています。子どもたちも楽しそうです。


<徳之島の小学校での授業風景>
きっと10年後も、吉村さんに会えることを楽しみにしている、たくさんの「ヘビ好き」たちに囲まれている姿を見ることができるのではないかと思いました。
今回は、ジャパン・スネークセンターの研究員、吉村憲さんでした。



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