馬にまつわる物語⑯
- tokyosalamander
- 9 時間前
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2026年8月25日(火)、愛媛県今治市の「野間馬ハイランド」で、日本最小の在来馬「野間馬」に出会いました。

この夏の「倉敷・しまなみ海道・松山の旅」の中でも、とりわけ楽しみにしていた訪問でした。
野間馬ハイランドに事前に電話すると、小澤剛(おざわ・つよし)園長が電話に出てくれました。8月25日(火)に訪問したいことを伝えると、火曜日は休業日ですが、野間馬は自由に見ることはできますよ、というお話をいただきました。


白い三角屋根が特徴的な「まきば館」(インフォメーションや売店、野間馬ものしり教室)はお休みでしたが、放牧場でエサを食べたり、くつろいでいる野間馬の姿を見ることができました。


野間馬ハイランドは休業日でも、野間馬たちは普段どおりの生活をしていました。

それにしても、小さいですねえ。体高は120cm以下です。

園内には、野間馬の由来などを示す「野間馬の記」という石碑が建っていました。
「野間馬は、江戸時代に今治の乃万(のま)地方でつくられた、日本在来馬の中でも特に小さな馬です。ところが、明治以降の馬の大型化政策や、戦後の農業機械化によって一時は絶滅の危機に瀕しました。
その危機を救ったのが、長年にわたり野間馬の繁殖に取り組んだ長岡悟氏です。
長岡先生はこの可愛い野間馬を後世に残そうと、昭和三十四年から十数年苦労して繁殖に成功されました。昭和五十三年に野間馬のふるさとである今治市へこの貴重な馬四頭を寄贈されました。現在は「野間馬ハイランド」を拠点に、今治の貴重な文化遺産として大切に守られています。」
といった内容です。

それでは、野間馬の歴史を少しくわしく見ていきましょう。
① 江戸時代――野間馬の誕生
ルーツは江戸時代初期にさかのぼります。1635年ごろ、松山藩主・松平定行の時代に馬の繁殖が試みられ、その後、現在の今治市周辺の野間郷の農家に馬の飼育・繁殖が委ねられました。当時は体高4尺(約121cm)が一つの基準とされ、それより大きな馬は藩が買い上げる一方、小さな馬は農家に払い下げられました。農家では手元に残せる小型馬同士を繁殖させたため、次第に小柄な馬が定着し、現在の野間馬につながったとされています。
② 「小さいけれど力持ち」の農耕馬に
野間馬は日本在来馬8馬種の中で最も小さく、現在の基準では体高120cm以下です。
しかし、蹄が丈夫で粗食にも耐え、小柄な体の割に力が強いことから、農耕や荷物運び、特に山間部での作業に重宝されました。江戸時代には300頭ほどに増え、地域の農家に欠かせない存在になったとされています。
③ 明治以降――大型馬重視で減少
明治時代になると、軍馬として利用できる大型馬を重視する国の馬匹改良政策が進み、小型の野間馬は次第に姿を消していきます。そして戦後、さらに大きな打撃となったのが農業の機械化と自動車など輸送手段の発達でした。耕運機やトラックの普及によって、農家で馬を飼う必要そのものがなくなっていきました。
④ 昭和30年代――わずか6頭に
昭和30年代後半には、今治市などから野間馬が姿を消し、愛媛県内に残ったのは、当時の道後動物園の2頭と、松山市の愛馬家が飼育していた4頭、わずか6頭になってしまいました。絶滅寸前でした。
⑤1978年――4頭から「復活」が始まる
1978年、松山市で野間馬を守っていた愛馬家(石碑で紹介されている長岡さん)から、牡1頭・牝3頭の計4頭が今治市へ寄贈されました。同じ年に「野間馬保存会」が発足し、地域ぐるみで繁殖・保存に取り組む体制がつくられます。「たった4頭からの再出発」でした。
⑥ 新開夫妻らによる繁殖――絶滅危機を脱する
その後、新開豊さん・美代香さん夫妻らが中心となって飼育・繁殖を進めました。保存活動が実を結び、頭数は徐々に回復していきました。
⑦ 1985年――日本在来馬の一つとして認定
1985年、日本馬事協会による学術調査の結果、野間馬は全国で8番目の日本在来馬として認定されました。さらに1988年には、今治市の天然記念物に指定されました。
⑧ 保存から「人と馬のふれあい」へ
頭数が回復すると、単に馬を保存するだけでなく、地域の人々、とりわけ子どもたちが野間馬と触れ合える取り組みも進みます。乃万小学校では1985年から「野間馬クラブ」が活動し、乗馬や世話、子馬の命名などを続けてきました。
⑨野間馬ハイランドの誕生
1989年には、現在につながる施設が整備され、「野間馬ハイランド」として発展しました。野間馬は「保存するだけの希少動物」から、再び地域の人々とともに暮らす馬になっていきました。
⑩ 2026年――愛媛県指定天然記念物へ
そして今年、2026年2月17日、野間馬はそれまでの今治市指定天然記念物から、愛媛県指定天然記念物になりました。野間馬は「愛媛県が誇る宝」として、大きな注目を集めています。

江戸時代には300頭ほどいたという野間馬。しかし近代化の波の中で、その数はわずか6頭にまで減りました。絶滅寸前の小さな馬を救ったのは、4頭の野間馬と、それを「ふるさとの宝」として守ろうとした人々でした。
野間馬は、「いかに頭数を増やすか=絶滅の危機」を乗り越えてきました。
そこで、野間馬の現状と課題について、「野間馬ハイランド」の小澤園長に再び電話し、インタビューを試みました。
Q1「現在、野間馬は何頭いるのですか」
→野間馬ハイランドが管理している野間馬は58頭(ハイランドには56頭、愛媛県立とべ動物園に2頭)です。
Q2「現在、どんなことが課題となっていますか」
→最大の課題は繁殖が難しくなっていることです。野間馬は限られた個体から保存活動が始まったため、繁殖にあたっては遺伝的な多様性への配慮が欠かせません。現在は血液検査などをもとに血縁関係を確認し、できるだけ血縁の遠い個体同士を組み合わせながら繁殖を進めています。
Q3「毎年、子馬は何頭くらい産まれるのですか」
→子馬は2025年は2頭誕生しましたが、2026年は8月末現在0頭です。
Q4 「乗馬できる馬はどれくらいいるのですか」
→乗馬できる馬は、現在7頭しかいません。若い馬は繁殖に専念させています。乗馬との両立はできません。繁殖を引退した馬を調教し、乗馬で活躍させていますが、その馬も高齢化により、体力や筋力が低下したり、乗馬コースに出る気力もなくなってくると、引退させて余生を過ごしてもらっています。乗馬できる馬への負担を減らすため、乗馬の回数を減らしたり、乗せる子どもの体重を制限しています。
Q5「施設面での課題はありますか」
→頭数が増えると、施設が手狭になってきます。野間馬は馬同士では気性が荒いこともあり、施設が過密状態になると、けがなどのリスクが高まります。かつて約80頭に増えた時期には、死んでしまった馬もいました。繁殖を成功させ、若い馬を増やしたいが、それには施設が足りない、というジレンマがあります。
Q6「来園者数は年間どのくらいいますか」
→多い時は、年間10万人以上いました。今は少子化などの影響もあり7万人くらいになっています。しかし、入園料は無料なので、実際にはもっと来ていると思います。今も土日や祝日になると、大勢の子どもたちで賑わっています。
Q7「入場無料ということですが、運営経費はどうしているのですか」
→野間馬ハイランドは「野間馬保存会」が委託運営していますが、今治市が所有していますので、今治市から毎年6800万円の予算措置があります。

園長さんは電話での質問に対して、丁寧にわかりやすく誠実に答えてくださいました。
(本ブログで紹介することについても了解をいただきました)
繁殖させたい
→ 若い馬は繁殖に専念
→ 乗馬に使える馬が少なくなる
→ 乗馬馬は高齢化する
一方で、
繁殖が成功する
→ 頭数が増える
→ 飼育場所が必要になる
→ しかし施設を簡単には広げられない
といった二つの問題が同時に起きていることがわかりました。
「繁殖を成功させたいという思いと、増えれば今度は場所が足りなくなる」という話は印象的でした。保存とは単純に数を増やすことではない、という深いテーマにつながっていました。

私は、今治に「野間馬ハイランド」があることを知った時、野間馬の動物園、くらいの認識しかありませんでした。
しかし、小澤園長のお話を伺っているうちに、地元の在来馬を守り、それを後世に残していくことに、人生をかけて取り組んできた多くの人達や、野間馬との触れ合いをとても楽しみにしている多くの子どもたちがいること、それは今も引き継がれていることを知りました。

「野間馬にまつわる物語」、これからもずっと続いていって欲しいと思いました。




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