キンモクセイで蘇る小学生の記憶
2026年10月14日(水)、「キンモクセイの香る風景」を読んでくださったアツシさんから、素敵なエピソードと写真が届きました。

川治温泉の夜道を風呂へ向かう家族(当時の記憶をもとにAIで作成した再現イメージ)
BGM:ヘンデル《メヌエット ト短調 HWV 434/4》
ギター編曲・演奏:Bert Alink(2017年)
音源:IMSLP
ライセンス:CC BY 4.0(表示 4.0 国際)
※音源の改変なし。
↓アツシさんが送ってくれたエピソードの全文です。
「私は小学2年3年と川治温泉の教員住宅で過ごしました。
川治小学校は山(丘)の上にあり、小さかった私には毎日が登山のようでした。

教員住宅は風呂がなく、大きな旅館の温泉を借りていました。住宅から歩いて5分くらいでしたが、途中に大きな金木犀があり、今でも金木犀の匂いがすると、父母と3人で歩いた夜を思い出します。
当時、子供ながらに、「なんてうちは貧乏なんだろう」と思っていましたが、後から聞けば、家計はむしろお金が貯まる一方だったそうです。

川治温泉の夜道を風呂へ向かう家族(当時の記憶をもとにAIで作成した再現イメージ)
風呂に入ってた旅館は「東山閣」です。今は「祝い宿寿庵」となっています。

↑当時の「東山閣」旅館
余談ですが
川治小学校は廃校となり、現在は「希望が丘公園」になっています。
またまた余談ですが、父は藤原小学校の教頭、母は私が通う川治小学校の教員でした。当時スカートめくりが流行っており、母親が職員室へ戻ってくると、スカートめくりで正座させられている数名の中に息子(私)がいて、恥ずかしかったと言っていました。

職員室前で正座する男の子たち(当時のエピソードをもとにAIで作成した再現イメージ)
住んでいた頃の川治の冬は寒くて、川の淀んだところが凍結し、スケートをしてました。安全については、消防団が管理しており、夜に水をまいて平らにしていました。
小学1年までは栗山村日向というところに住んでいました。
両親はどちらも芳賀郡の出身ですが、ふたりとも栗山村立日向小学校の教員でした。
結婚してから、好んで僻地赴任したのか、聞いたことがないのでよくわかりません。
幼稚園も保育園もなく、夏は川遊び、冬は山でソリ乗りという、なんともワイルドな子供時代でした。
そのため、都会へのコンプレックスはずっと持っていました。
冬は豪雪で、学校の校庭でかまくら祭りみたいなイベントがありました。
肉屋がないため、川治温泉の肉屋に注文して、バスの車掌が停留所まで持参し、代金と引き換えていたようです。
住み始めた頃、両親は、村の人達にとって完全な「よそ者」だったようです。その頃、「川治ダム」建設の話が持ち上がり、水没する家が多数あり、その補償について国との交渉をしなければならなくなりました。集落の長が困り果て、私の父親にその仕事を依頼することになり、それから村の人達から敬われるようになったそうです。
キンモクセイの香りは、そんな川治での日々を、今でも鮮やかに蘇らせてくれました。」
アツシさん、素敵なエピソード、ありがとうございました。
*今回の「再現イメージ」は、アツシさんの記憶をもとにAIチャッピーが作成したものを、ご本人に確認していただきながら調整しました。




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