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​身近な風景

吉田さんの「東北夏まつり」紀行

  • 執筆者の写真: tokyosalamander
    tokyosalamander
  • 1 日前
  • 読了時間: 9分

更新日:14 分前

2026年8月15日(土)。世界を旅する吉田さん、実は日本全国も旅しています。今回は、青森市で開催された同窓会に合わせて訪れた、8月6日(木)から8日(土)にかけての「東北夏まつり」紀行をお届けします。


<8月6日、1日目>

午後、山形駅に到着しました。


「山形花笠まつり」開始前、山形市内の霞城公園(かじょうこうえん:山形城跡)と旧山形県庁を見学しました。

この彫像は、霞城公園に設置されている「最上義光騎馬像」です。


最上義光(もがみ よしあき)は、戦国時代から江戸時代初期にかけて活躍した出羽国の戦国大名です。


慶長5年(1600年)、天下分け目の「関ヶ原の戦い」が行われました。東北でもその対立がそのまま持ち込まれ、山形を舞台に大規模な戦い「慶長出羽合戦」が起きました。


この像は、石田三成側(西軍)の直江兼続率いる軍勢が攻めてきた際に、徳川家康側(東軍)の最上義光が陣頭に立って決戦へ向かう雄姿を再現しています。


最上軍は7000足らずの軍勢でしたが、約2万~2万5000の上杉軍を迎え撃ちました。しかし、関ヶ原本戦での東軍勝利の知らせを受け、上杉軍は撤退し、最上軍が追撃しました。その結果、最上義光は上杉方の領地だった庄内地方などを獲得し、57万石という大大名になりました。


最上義光は、「戦国武将としての強さと、領主としての政治力を兼ね備えた人物」として、山形の人々にとっては、単なる戦国武将ではなく、「山形を大きく発展させた殿様」という意味合いが強い人物です。


最上義光が整えた山形の城下町。その中心市街地を、300年以上の時を経て、紅花を飾った花笠の列「花笠まつり」が踊り歩いています。


山形市郷土館(旧済生館本館)です。

山形市郷土館(旧済生館本館)は、明治11年(1878年)に建てられた国指定重要文化財の擬洋風病院建築です。霞城公園内に移築・復元されています。14角形のドーナツ型回廊など、独創的な建築美と明治期の貴重な医学・郷土資料が見どころです。


次に、山形県の旧県庁舎である文翔館を訪ねました。

文翔館(山形県旧県庁舎)は、大正5年(1916)に建てられました。


ところで、明治時代の栃木県と山形県には、初代山形県令(現在の県知事)であり、のちに栃木県令も務めた「三島通庸(みしま みちつね)」を起点とした深い共通点があります。


三島通庸は、1876年(明治9)に初代山形県令となりました。山形県では県庁所在地を山形に定め、翌1877年には新しい県庁舎を建設しています。これは現在の文翔館そのものではありませんが、文翔館が建っている場所に最初に建てられた県庁舎です。


そして三島は、1883年(明治16)に栃木県令となります。翌1884年、三島の主導で県庁を栃木町から宇都宮へ移転し、宇都宮に新しい県庁舎を建設しました。

これは1884年、県庁が栃木町から宇都宮へ移転した際に建てられた県庁舎です。


下の図は、三島が建設した初代の山形県庁舎(1877年 -1911年焼失)です。栃木県庁舎とよく似ていますね。文翔館 - Wikipedia


さらに三島通庸は、山形県と栃木県の両県でよく似た手法による都市整備を行いました。


山形県では、新築した県庁舎から南へまっすぐ伸びる広大な大通りを整備し、その両側に警察署や学校などの近代的建築を並べました。

↑この写真は、吉田さんが文翔館(旧県庁舎)の2階テラスから観た景観です。


この正面の街路こそが、三島が整備した道です。「花笠まつり」の各団体は、この街路を通って、文翔館に向かって流し踊りをしてきます。


一方、栃木県でも宇都宮への県庁移転を強行した際、二荒山神社に隣接する新県庁から南北に街路を設け、両側に官庁街を配置しました。

↑この写真は、私が2023年11月に県庁に向かう道路から撮ったものです。


「県庁を起点として直線道路を延ばす」という都市構成には、山形と宇都宮でよく似たものを感じます。


最上義光が「戦国期の山形」をつくった人物だとすれば、三島通庸は「近代の山形」をつくった人物と言ってもいいでしょう。そして三島は、その後、栃木県でも県庁を宇都宮に移し、「近代の栃木」の都市づくりに関わったのでした。



おっと。

ちょっと横道に入ってしまいましたね。



さて、そうこうしているうちに、「山形花笠まつり」(18時)がスタートする時刻となってきました。

『山形花笠まつりは、毎年8月5日・6日・7日の3日間に山形県山形市で開催される、東北四大祭り(青森ねぶた祭、秋田竿燈まつり、仙台七夕まつり、山形花笠まつり)の一つです。


山形県の県花である「紅花」をあしらった花笠を手にした踊り手たちが、勇壮な花笠太鼓と「ヤッショ、マカショ」の掛け声に合わせ、市内のメインストリートを華やかに練り歩きます。3日間で約1万4千人の踊り手が参加し、約100万人もの観客が訪れる、山形を代表する真夏の祭典です。

パレードの先頭を行くあの恐ろしい顔をした像は、鬼ではなくお祭りの御祭神である「蔵王大権現(ざおうだいごんげん)」です。


「花笠音頭」の歌詞には、「蔵王権現さんもお盆の夜は 笠のおどりに浮かれでる」とあります。「厳格で恐ろしい蔵王権現様でさえ、楽しそうな花笠踊りを見ていたら、思わず山から下りてきて一緒に踊りだしてしまう」楽しいお祭りです。


パレードで披露される花笠踊りには、以下の4つの種類があり、集団ごとの踊りの違いを楽しめます。


薫風最上川(女踊り)

最上川を渡る爽やかな風と稲穂の揺れを表現した、優雅で華麗な踊りです。


蔵王暁光(男踊り

蔵王連峰の夜明けと自然への感謝を表現した、大地を踏みしめる勇壮な踊りです。


笠回し系花笠踊り

花笠発祥の地とされる「尾花沢地方」のスタイルで、笠をダイナミックに高速で振り回す豪快な踊りです


創作踊り

参加団体がそれぞれ独自の工夫を凝らした、現代的で自由なスタイルの踊りです。』


女優の「渡辺えり」さんや、お笑いの「テツ&トモ」さんも駆けつけてくれていました♪


「山形花笠まつり」は、パレードのゴールとなる「文翔館」(旧県庁舎)まで続いていました。



<8月7日、2日目>


今回の往路は「青春18きっぷ」の旅でした。青春18きっぷは、JRの普通・快速列車を使って、全国をゆっくり旅するための期間限定のお得なきっぷです。連続する3日間用と5日間用があります。「青春18」とありますが、年齢制限はなく、何歳でも利用できます。


山形駅を奥羽本線の始発5:53に出発し、大鰐温泉駅で弘南鉄道大鰐線に乗り換え、中央弘前駅に15:05到着。走行距離約369km、9時間の長旅でした😅

↑この図は、私が生成AI チャッピーとの協働作業で作りました。結構な難事業でした。



弘前の手前、「大鰐温泉駅」で降り、足湯を楽しんだのち、人生初の弘南鉄道に乗りました。

現在、弘南鉄道の主力として活躍しているのが元東急電鉄の「7000系」です。

全車両が非冷房(クーラーなし)仕様です。そのため天井には、扇風機だけが並ぶ非常にすっきりとした昭和レトロな光景が広がっています。


また、期間限定でこの路線では「金魚ねぷた列車」(特別装飾列車)が運行しています。


金魚ねぷたは、弘前ねぷた祭りなどでおなじみの、金魚をかたどった小型のねぷたです。

期間中の土曜・日曜・祝日の夜間には「夜間特別ライトアップ運行」が行われます。

車内の通常の照明を落として、金魚ねぷたの明かりだけで走るという趣向です


久々の扇風機列車に懐かしさ、そして、車窓に広がる林檎畑と岩木山に青森を全身で感じて来ました。


そんな旅情溢れる弘南鉄道大鰐線ですが、利用者の減少などから、2028年3月31日の運行をもって休止することが決まっています。これは寂しいですね。


終点の中央弘前駅に15:05に到着しました。弘前市内のホテルにチェックイン後、JR弘前駅から五能線に乗ってJR五所川原駅まで約45分。五所川原立佞武多の舞台、五所川原市に移動しました。



五所川原立佞武多(ごしょがわらたちねぷた)は、青森県五所川原市で毎年8月4日〜8日に開催される夏祭りです。

五所川原立佞武多は、青森ねぶた祭、弘前ねぷたまつりと並ぶ「青森三大佞武多」の一つに数えられています。


横に広い青森市の「ねぶた」とは異なり、天に向かってそびえ立つような縦に長い人形灯籠のスタイルが特徴です。


2026年は、大型3台、中型5台、小型9台の計17台が参加予定で、開催日によって運行台数が変わります。この年の大きな見どころは、2年ぶりの新作大型佞武多『猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)』が登場したことです。


素戔嗚尊(すさのおのみこと)』『閻魔(えんま)』と合わせた計3台の大型立佞武多が、街を圧倒しました。


19時の祭り開始に先駆けて、17:50、最初の大型佞武多『素戔嗚尊(すさのおのみこと)』が出陣しました。↓

ビル7階建てに匹敵する「圧倒的な高さ」(高さ23m)の巨大な山車が街を練り歩くのが最大の特色です。


五所川原の巨大なねぷたが記録に登場するのは1907年頃とされています。地元の豪商や大地主が夏祭りに出すねぷたの規模を競うようになり、高さは30メートルを超えるものもあったとされています。しかし、大正末期から昭和初期になると電線が市街地に張り巡らされ、ねぷたは小型化し、戦時下になると祭り自体も縮小化していきました。


1993年、巨大ねぷたの台座の設計図が発見されたことから、有志の手により、1996年に約80年ぶりに巨大ねぷたが復活しました。その後、電線の地中化や段差の解消などが進めらました。


確かに電線の姿は見えません。ここまでやり切ったんですね!(凄い)


ここがスタート地点です。

右奥の桟敷席から素戔嗚尊(すさのおのみこと)の出陣を観覧しました。


夜の帳がおり、いよいよ祭りがスタートしました!

先頭を行く中型佞武多「豊臣秀吉」。市長賞を受賞したそうです。


19:50,2台目の大型佞武多「閻魔」が出陣してきました。


閻魔」の後ろに控えているのは、今年の新作佞武多「猿田彦大神」です。


新作「猿田彦大神」が街中に繰り出しました。


独特な掛け声とお囃子「ヤッテマレ!」:

運行時の掛け声は「ヤッテマレ!ヤッテマレ!」です。これは「やってしまえ!」という意味があり、他地域のねぶたとは違う独特の力強さと熱気を醸し出します。


住宅街を通り抜ける『閻魔』。怪獣が街中に出現するとこんな感じか?


夢のような風景が、目の前に繰り広げられました。この日のことは、忘れることはないでしょう。



<8月8日、3日目>


いよいよ同窓会の当日となりました。

夜からの同窓会前に岩木山を登って来ました。

当日は、弘前城近くのホテルからバスで弘前駅に移動し、余計な荷物をロッカーに預けて、岩木山の麓、嶽温泉行きの弘南バスに乗りました。料金は非常に良心的で、1時間ほどの乗車でしたが、何と500円でした。


朝から日本海側より雲が立ち上り、頂上には笠雲が。天気予報も午後から雨の予報😭


ブナ林を抜け9合目へ。途中には異臭を放つ大型キノコも🍄‍🟫


山頂はやはりガスで見えません😭


ようやく、山頂にたどり着きました。


日本海側はやはり見えませんでしたが、内陸側は時折晴れ間が見えました。


帰りは8合目からバスで下り、同窓会に向かいました。


以上で報告を終わります。

長々とすみませんでした。


→いやあ、想像を絶する3日間でしたね。同窓会の前に岩木山登山をする方は、そうはいないと思いますよ。吉田さんの行動力と体力の凄さが、まず印象に残りました。さすがに、帰りは新幹線で帰ってきたそうです。


その甲斐もあって、東北の夏祭りの楽しさは存分に伝わりました。祭りの活気や熱気まで感じることができました。吉田さんと一緒に旅しているような気持になりました。


吉田さん、ありがとうございました。


また、日本や世界のどこかから、楽しいお話が届くことを楽しみにしています。

(実は、馬にまつわる物語⑯は、「東北夏祭り」から帰ってすぐの「四国の旅」からの便りでした。お盆くらいは、ゆっくり体を休めてくださいね。)

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