群響「ショスタコ8番」
- tokyosalamander
- 10 時間前
- 読了時間: 3分
2025年5月17日(土)、群馬交響楽団「第608回定期演奏会」は、群響名誉指揮者・高関健による、細川俊夫の日本初演作品とショスタコーヴィチ「交響曲第8番」でした。渋いプログラムでしたが、群響の熱演が光りました。


今日のプログラムです。

1曲目は、日本を代表する現代作曲家・細川俊夫(2014)の日本初演です。日本初演というのが凄いです。今回のハープ奏者のような名人芸がないと演奏が難しいのでしょうか。
2曲目のショスタコーヴィチ「交響曲第8番」が今日のメインプログラムでした。群響創立80周年に因んだ「交響曲第8番」シリーズのトップバッターです。
まず、この曲が作曲された背景として、第二次世界大戦の独ソ戦があります。1941年に、ソビエト連邦の大都市レニングラードがドイツ軍に包囲されました。この包囲戦の死者は市民だけで95万人(ほとんどが餓死)と言われています。レニングラードは約900日にわたる包囲に耐え抜き、この攻防で勝利した1943年に書かれたのがこの「交響曲第8番」です。戦況が良くなったことから、ショスタコーヴィチの新しい交響曲には、戦意を盛り立てる勝利の喜びや高らかな凱旋が期待されていました。ところが、この交響曲は重苦しく、悲観的であると非難され、長い間国内での演奏は禁止されてしまいました。
こういった予備知識を持って、初めてこの曲を実演で聴きました。確かに、30分を超える第1楽章は、激しい音の塊りが途切れることなく飛び交い、レニングラードの包囲戦の激烈さを彷彿とさせました。当時の市民が感じていたストレスや絶望感を想起させる重々しい演奏でした。しかし、第2楽章から第5楽章にかけては、シニカルな雰囲気の中にも平穏な暮らしを求める楽天的な希望を感じることができました。
ショスタコーヴィチにとって、戦争での勝利や凱旋の喜びは、まやかしで一時的なもの、苦しみや悲しみそのものを無くすことはできない、と考えていました。そして、終楽章では、はるか彼方の戦争のない世界を描こうとしていたようです。ショスタコーヴィチは、この曲について「内面的かつ悲劇的ではあるものの、全体として楽天的で人生肯定的な作品だ」と述べています。
現代に生きる私たちがこの曲を聴くと、腑に落ちる瞬間がたくさんありました。勝利の雄たけびや凱旋の高揚感が描かれていたとしたら、盛り上がるかもしれませんが、その場限りの、取ってつけたような違和感を感じるような気がします。
むしろ、長大な第1楽章の悲劇性と第2楽章から第5楽章にかけての戦争のない世界を夢見て迎えた穏やかな終結との対比は、いつどこで戦争が起こってもおかしくない現代の危うさそのものを暗示しているような先見性を感じました。

カーテンコールでは、群響の名人芸と、ショスターコーヴィチを知り尽くした名誉指揮者・高関健とのコンビによる豪快で鮮やかな演奏に大喝采が送られました。

定期演奏会で演奏されなければ、あえて聴くことはなかった「タコ8」ですが、こんな素晴らしい曲だったのかと、魅力に気づきました。今回も素晴らしい体験でした。
Commentaires