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​身近な風景

馬にまつわる物語⑬

  • 執筆者の写真: tokyosalamander
    tokyosalamander
  • 14 時間前
  • 読了時間: 5分

2026年5月30日(土)、長野県木曽町開田高原にある「木曽馬の里」を訪れました。ここは、日本在来馬「木曽馬」の保護・繁殖・活用の拠点となっている施設です。木曽町と木曽馬保存会が連携して運営・管理をしており、木曽馬と触れ合うことができます。


日本在来馬「木曽馬」に出会うことは、過去から現在まで繋がる馬と人間のかかわりを知るうえで重要です。「木曽馬の里」までは、佐野から約270キロ、4時間半の道のりでした。

さっそく、放牧されている木曽馬たちの姿を見ることができました。



「木曽馬の里」を探索する前に、日本在来馬「木曽馬」にまつわる物語を紐解いてみましょう。


①日本在来馬とは?


「日本在来馬」と呼ばれるものとして現存しているのは、北海道和種、木曽馬、野間馬、対州馬、御崎馬、トカラ馬、宮古馬、与那国馬の8種類です。

(グループやまざくら編集・発行「やまざくら通信07」より)


これらは、日本原産というわけではなく、古墳時代以降にアジア大陸から交易などを通じてやってきた、モンゴルの草原馬の子孫とされています。それが次第に日本全国で、その土地の気候風土や文化に合わせて人々とともに暮らすうちに、少しずつ違った特徴を持つようになりました。これらが「日本在来馬」と呼ばれています。日本各地の在来馬の多くは、外国種との混血化などによって絶えてしまいました。



②木曽馬の隆盛


木曽馬は、木曽義仲(きそ・よしなか)が挙兵した1180年頃には、優れた馬として名声が高まり、各国の武将は競って木曽に名馬を求めたと言われています。


江戸時代以降は、馬市が定期的に開催され、日本三大馬市の一つとして350年も続きました。

(グループやまざくら編集・発行「やまざくら通信07」より)


明治以降も山間農耕馬として活躍していました。

(グループやまざくら編集・発行「やまざくら通信07」より)


各農家には、2-5頭(母・子)の馬がいて、農作業や肥料づくりに欠かせませんでした。子馬を売ったお金は、1年分の現金収入になったそうです。明治34年には種雄馬58頭、種雌馬6765頭と木曽馬産の最盛期を迎えました。



③日本在来馬の受難


しかしその後、日本在来馬は急激に頭数を減らし、絶滅の危機に陥りました。そのきっかけは大きく分けて2つありました。


1つ目は、明治以降、軍事強化のために馬の大型化が求められるようになったことです。


外国種との交雑により、馬の体格は大きくなりましたが、木曽の山坂の歩行には適さず、性格も温順さを欠くようになってきました。飼料も多く必要になり、山間地農耕馬としては不適格であると嫌われたため、国の馬政計画も木曽には浸透しませんでした。山間地の農民たちは、密かに木曽馬純血馬で交配し、高い純粋性を維持しながら、大正期へと移行していきました。


大正5年に「馬匹去勢法」が制定されました。国の馬政計画によって配置された外国産雄馬以外の在来馬は、三歳の春に去勢されることになりました。しかし、木曽の開田村の愛馬家は木曽馬純血馬と認められる雄馬を密かに混牧して繁殖を計っていました。


しかし、昭和14年には「種馬統制法」が制定されました。国や軍の命令は極めて峻厳な時代であったため、昭和18年には木曽馬純血馬の雄馬「宝玉号」を最後に木曽馬の命脈は完全に断絶してしまいました。


日本在来馬が急激に頭数を減らした2つ目の理由は、モータリゼーションの進展です。農業・林業などの産業や交通の機械化が一気に進み、農山間地や離島で細々と生き残っていた日本在来馬たちは、実用性のない家畜として、その役割を完全に失いました。



④木曽馬の奇跡の復元


戦後になると、昭和天皇巡幸での木曽馬の天覧や上野動物園への寄贈などによって、木曽馬の純血馬を復元しようという機運が高まりました。しかし、それには木曽馬の純血な雄の存在が不可欠でしたが、すでに去勢された雄しか残っていませんでした。木曽馬はすでに絶滅していたのです。


ところが、昭和25年、長野県更埴市(現・千曲市)の武水別神社で「御神馬」として去勢を免れた純血の木曽馬「神明号」がいることが発見されました。その「神明号」と個人が飼育していた木曽純血の雌馬「鹿山号」を交配させ、昭和26年4月8日、雄馬「第三春山号」が誕生しました。


この「第三春山号」の血を受け継ぐ木曽純血馬は20頭余り、これらの子孫が現在の純血木曽馬とされています。現在、日本在来馬「木曽馬」を見ることができるのは、こうした奇跡の賜物なのです。

(グループやまざくら編集・発行「やまざくら通信07」より)


(伊藤正起著「木曽馬とともに」より)

(著者の伊藤正起氏は元開田村長で木曽馬保存会の初代会長でした。村の獣医師でもあった伊藤氏の経験談とともに木曽馬に関する多くのことが書いてあります。)


「木曽馬の里」では、現在約30頭の木曽馬が保護・育成されています。木曽馬は長野県の天然記念物に指定されています。


春の繁殖期には木曽馬飼育者から繁殖雌馬を預かり、種付けを行う繁殖預託事業も行っています。そのため、5月から6月にかけては牧場は一年で一番馬(仔馬)の多い時期になり、多い年には40頭以上もの木曽馬たちでにぎわっています。

御岳山を仰ぐ開田高原で、木曽馬たちはのんびりと暮らしています。


ここでは乗馬体験もできます。私も挑戦しました。

数分間のショートコースでしたが、木曽馬の体温や息遣いを感じることができました。

木曽の人々と共に歩んできた木曽馬の性格は、人に優しい気質で、主人には忠実!だそうです。


ちなみに、私が乗った馬は「弥生号」でした。


せっかくでしたので、私も「弥生号」のオーナーになりました。

(と言っても、オーナー証400円でした)


↓ガチャでゲットした「消しゴム」と「缶バッジ」。

子どもたちもたくさん来ています。お盆の時期が一番お客さんが来るそうです。



お昼は「開田そば」を堪能しました。開田そばは、開田高原の自生種だそうです。


開田高原から見える御岳山と木曽馬たちの姿は、1200年前から続く、人と馬との関りの深さを感じさせてくれました。

現在の木曽馬は100頭余りまで回復したものの、依然として希少な日本在来馬です。



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