馬にまつわる物語④
- tokyosalamander
- 1月11日
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更新日:1月12日
2026年1月11日(日)。那須与一の活躍を支えた名馬「鵜黒の駒」について知るため、大田原市南金丸にある「那須与一伝承館」と隣接する「那須神社」を訪ねました。

那須与一伝承館の前には「鵜黒(うぐろ)の駒にまたがり弓を射る与一の像」が立っています。
那須与一とその名馬「鵜黒の駒」は、「平家物語」の中でも有名な「扇の的」で登場します。
元暦2年(1185年)2月、京都や一の谷などで源氏に敗れた平氏は、屋島にたどり着きました。しかしそこでも義経の奇襲に合い、慌てた平氏は舟で海上に逃れ、陸の源氏と対峙します。「扇の的」はその後の場面です。
沖から立派に飾った一艘の小舟が近づき、美しく着飾った女性が日の丸を描いた紅い扇を竿の先端につけて立っています。
ちなみに、源平合戦では、源氏が白旗を掲げ、平家が赤旗を掲げることで、敵味方の区別が明確にされました。この色分けは、後の日本の文化や伝統にも影響を与え、運動会での紅白に分かれたチーム対抗競技やNHK『紅白歌合戦』など、紅白の組み合わせはさまざまな場面で見られるようになりました。

さて、この紅い扇は平家からの「この扇を弓で射落としてみよ」という挑発でした。
義経は、弓の名手那須与一を呼び寄せ「あの扇を射て」と命じました。
与一は何度も辞退しましたが、聞き入れられず意を決して馬を海中に乗り入れました。

「折から北風が激しく吹いて、岸を打つ波も高かった。
舟は、揺り上げられ揺り落とされ上下に漂っているので、竿頭(かんとう)の扇もそれにつれて揺れ動き、しばらくも静止していない。
沖には平家が、海上一面に舟を並べて見物している。
陸では源氏が、馬のくつわを連ねてこれを見守っている。
どちらを見ても、まことに晴れがましい情景である。
与一は目を閉じて、
「南無八幡大菩薩、我が故郷の神々の、日光の権現、宇都宮大明神、那須の湯泉大明神、願わくは、あの扇の真ん中を射させたまえ。これを射損じれば、弓を折り、腹をかき切って、再び人にまみえる心はありませぬ。いま一度本国へ帰そうとおぼしめされるならば、この矢を外させたもうな。」
と念じながら、目をかっと見開いて見ると、うれしや風も少し収まり、的の扇も静まって射やすくなっていた。
与一は、かぶら弓を取ってつがえ、十分に引き絞ってひょうと放った。
かぶら矢は、浦一帯に鳴り響くほど長いうなりを立てて、あやまたず扇の要から一寸ほど離れた所をひいてふっと射切った。
かぶら矢は飛んで海へ落ち、扇は空へを舞い上がった。
しばしの間空に舞っていたが、春風に一もみ二もみもまれて、海へさっと散り落ちた。
夕日に輝く白い波の上に、金の日輪を描いた真っ赤な扇が漂って、浮きつ沈みつ揺れているのを、沖では平家が、舟端をたたいて感嘆し、陸では源氏が、えびらをたたいてはやし立てた。」(以上、平家物語の現代語訳より)

那須与一がまたがっていた名馬は、漆黒の毛並みの美しい馬だったことなどから「鵜黒の駒」と名付けらました。海の中でも、じっとしていたことから、優れた馬であったのでしょう。
この「鵜黒の駒」が生まれた地とされるのが、与一の父資隆(すけたか)が築いたという高館城近くの「駒込の池」です。この池は大田原市大輪(黒羽)に今もあります。
また、「鵜黒の駒」が黒羽の地名の由来になったという説もあります。「黒い鵜黒の駒」が「黒い鵜」「黒鵜」に。そして「鵜」が「羽」に換わり「黒羽」となったというのです。

Google mapの写真より
那須与一は、屋島合戦の華々しい活躍にもかかわらず、その後の動向が全く不明なうえ、若くして亡くなったとされることから、那須与一にまつわる伝承が全国各地で語り継がれています。例えば、与一供養塔(山形県米沢市)、与一の墓(広島県安芸太田市)、那須与一神社(徳島県石井町)など、40か所以上あります。
また、「鵜黒の駒」が、後に野馬としてすみ着き死んだ場所に建てられたのが那須町高久乙の「馬廻塚馬頭観世音」です。

Google mapの写真より
最後に、那須与一が源平の内乱に際して戦勝祈願を行った「那須神社」を参拝しました。実は、もともとは那須神社に隣接する敷地に道の駅「那須与一の郷」(2004年)と「那須与一伝承館」(2007年)が建てられました。

那須神社の参道入り口

一の鳥居

二の鳥居

神橋と楼門(国指定重要文化財)

拝殿(国指定重要文化財)

那須与一が屋島の戦いで「扇の的」を射る際、心に念じた神こそが、那須神社の八幡大菩薩でありました。
那須与一は、源平の内乱後の文治3年(1187年)、那須神社にこの「拝殿」を建造したとされています。以来、那須氏累代の氏神として、さらには近世の黒羽藩主大関氏の氏神として厚く崇敬されてきた由緒ある古社です。

毎年、9月の敬老の日に催される「例大祭」では「流鏑馬(やぶさめ)」が奉納されています。与一の愛馬に因んだ伝説も多く、困難を突破する力を授かり、「一発必中」の願いを叶えるパワースポットとなっています。
また、地元大田原市では、毎年8月に郷土の誉れである那須与一に因んだ『与一まつり』が、盛大に開催されています。第42回大田原与一まつり(2025) | 恒例の夏祭り「大田原与一まつり」 武者行列・踊り・出店など内容充実 | 栃木県大田原市 | いこーよとりっぷ




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