馬にまつわる物語⑨
- tokyosalamander
- 2 日前
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2026年4月11日(土)、佐野高校科学部OBで自治医大で研修医をしている新井さんから、「下野市薬師寺地区における馬市の展開と地域社会」と題するレポートと写真が届きましたので紹介します。大作です。

新井さんのレポートにある馬頭観音、私も4月9日に現地で確認しました。その時撮った写真も加えながら紹介します。
「前にお話しておりました、石橋の馬市について調べておりましたが、明治期までは石橋よりも大学のある薬師寺のほうが馬市として栄えていたと知りました。『南河内町史 通史編 近現代』を参照して、調べたことを下記の通りまとめましたので、ご一読いただけますと幸いです。
下野市薬師寺地区における馬市の展開と地域社会
― 馬頭観音碑を手がかりとして ―
(1)はじめに
下野市薬師寺地区(旧南河内町大字薬師寺)は、現在は自治医科大学の所在地として知られていますが、7-8世紀にはその名の通り「薬師寺」が、奈良の東大寺、筑紫の観世音寺と並び「日本三戒壇」の一つとして、東国の僧侶の修行・授戒の中心地として栄えました。
その歴史を今に伝える下野薬師寺歴史館の前には、一基の馬頭観音碑が設置されています。
説明板によれば、この石碑はもともと薬師寺地内に祀られていたもので、側面には「天保十一年(1840)四月八日」と刻まれています。江戸後期の建立です


馬頭観音は、農耕や運搬に従事した馬の健康祈願や供養のために建立されるものです。本碑の存在は、近世期の薬師寺において馬が地域経済を支える重要な存在であったことを示しています。

下野薬師寺歴史館前にある馬頭観音(移設後)です。説明書きの下の部分は破れてしまっています。
本稿では、この馬頭観音碑を手がかりに、薬師寺地区における馬市の展開と地域社会との関係について整理します。
(2)薬師寺馬市の概要
『南河内町史 通史編 近現代』によれば、薬師寺では近世から明治初期にかけて六斎市が開かれていました。六斎とは6つの決まった日という意味で、市が開かれる日は、一・六のつく日(1日、6日、11日、16日、21日、26日)で、定期的な市場(5日おきに開催)として機能していたことが確認されています。
とりわけ馬市としての性格が強く、最盛期には500-600頭に及ぶ馬が集まったと記録されています。東北地方から馬が運ばれ、関東一円の買い手が集う広域的な取引の場でした。この規模からみても、薬師寺地区は単なる農村ではなく、広域経済圏の一端を担う市場集落であったと考えられます。
↓龍興寺二月堂付近にある「生馬大神」です。明治期の建立で、詳しい説明書きは裏面に書かれていそうですが、塀に阻まれ読めませんでした。



(3)立地条件と町場の構造
薬師寺地区は仁良川南西部に位置し、宝木面祇園原台地と江川用水右岸の低地に広がっています。石橋方面へ通じる南北道路(日光東往還:日光東照宮参詣のために造られた日光街道の脇往還)に沿って町場が形成されていました。
街道沿いに帯状に展開する集落形態は、市場機能と密接に関係しています。家畜取引には交通の利便性が不可欠であり、広域からの人馬の集散を可能にする立地条件を備えていました。
明治期の職業構成をみると、馬宿、旅籠、鍛冶屋、呉服商、酒造業、菓子屋、雑貨商など、多様な商業・サービス業が存在していました。特に馬宿が複数存在していたことは、馬市が町の経済活動の中心にあったことを示しています。

道端にも「馬頭観音」がひっそりと佇んでいました。
(4)鉄道開通と石橋への移転
しかし、明治期に入ると交通体系は大きく変化します。鉄道の開通により、物流の中心は街道から鉄道へと移行しました。
これに伴い、薬師寺の馬市は次第に衰退し、やがて現在では同じ下野市内に位置する石橋へと移転します。鉄道駅を擁する石橋は、新たな流通拠点として発展していきました。
この移転は、近世的な街道市場から近代的な鉄道流通への転換を象徴する出来事といえます。
(5)おわりに
現在、薬師寺は静かな住宅地となっています。町並みの中に、かつての馬市の賑わいを直接に伝える遺構はほとんど残っていません。

↑現在の日光東往還(江戸時代に整備された街道の一つで、日光方面へ向かう脇街道)と薬師寺地区です。町の中心は大学前に移り、バイパスも開通しましたので、残念ながらかつての賑わいはありません。

しかし、歴史館前に立つ馬頭観音碑は、この地がかつて馬市として大いに賑わった記憶を今に伝えています。一基の石碑は、地域経済の構造、交通体系の変化、そして近代化の波を映し出す歴史資料でもあります。

現地に立つと、かつて数百頭の馬が集い、商人や農民の声が飛び交った情景を想像せずにはいられません。
参考文献)
南河内町史編さん委員会編:南河内町史 通史編 近現代.288-291.1996.」
文献調査と現地調査によって、埋もれていた「馬頭観音」に光を当てた素晴らしいレポートです。新井さん、お忙しい中、ありがとうございました。歴史資料として残っている「馬にまつわる物語」はとても新鮮に感じました。
皆さんの周りでも「馬頭観音」を見かけましたら、お知らせください。




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